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120「白鯨」メルヴィル

477グラム。翻訳でも漫画化したものでも映像化したものでも、バージョン違いがたくさん楽しめるエンタテインメントの宝庫『白鯨』。
 角川文庫が二冊分冊なので安く手に入るのだけど、岩波文庫の方が訳も読みやすく挿絵や図なども楽しい。初めて読むなら三冊分冊で少し高いが岩波文庫の方をおすすめしたい。

 片足に鯨骨の義足をつけたエイハブ船長が、自らの脚をうばった巨大な白鯨に復讐を誓い、追い詰めた挙句に船員もろとも全滅していく物語。
 たまらない。どんな切り口でもおもしろい。

 太平洋のど真ん中、海の中には巨大怪獣、船の中は頭のおかしい老人、逃げ場なし!というパニックものとしては王道だ。
 エイハブの壮絶な復讐劇としてもおもしろい。陸には若くてかわいい奥さんと娘がいる身でありながら必要もないのに白い鯨と心中していくのである。何があったんだその人生。
  語り手のイシュメールという若者の冒険譚としてもいい。野心にあふれた若者が異民族、異教徒だらけの船に乗って日々カルチャーショックを受けながら立身出世を志す。
 さらには語り手イシュメールの親友になるクィークエグというネイティブアメリカンとのBL、という線もある。捕鯨船出港前に宿屋の親父の冗談でひとつベッドを当てがわれ、どういうわけか夫婦の契りを結ぶのである。なにその流れ。

 巨大油田のようにエンタメの燃料がどくどくと流れでているのに、この捕鯨船はそれをぜいたくにぶん撒きながら、見向きもせずに突き進む。
 冒頭から出港までの20章以上ほぼひとりで話をひっぱるイシュメール君は、船にのったとたん、亡霊のようにどこで何してるのかわからなくなる。せっかくクィークエグとの間に芽生えた特別の感情もその後一切言及されない。
 船長のエイハブが陸の家族を思い出すこともない。
 私でさえ「もったいないぞ、メルヴィル!」と思ってしまう。当時の出版社は「もっと受けるように書け!」とか言わなかったんだろうか。

 さらにはたぶんほとんどの映像化でおなじみの、エイハブ船長が、自ら白鯨に突き刺した銛を掴んだまま綱に絡まって白鯨の身体に縛り付けられる形で海に沈んでいく、というシーンも、実はない。

銛が投げられた。刺された鯨は前方に突進した。火が出そうな速さで索は溝を走ったー走りながらもつれた。エイハブがほぐそうとして屈んだ。そしてほぐすにはほぐした。が、飛んだ一撒きの索が彼の首にまきついて、トルコのおしの召使に弓弦で絞殺される犠牲者のように、彼は声もなくボートからさらって行かれ、乗組のものは彼のいなくなったことに気がつかなかった。

 およそ信じられないことに、文庫本で2、3冊分 もかけてひたすら私怨のためだけに鯨を追いまわす史上最強に迷惑な狂気の老人は、ほとんど誰にも気づかれないうちに物語からいなくなってるのである。

 自らが投げた索(縄)にからまって死ぬのは、別の乗組員だ。

ダッグーとクィークェグが破損した船板にまいはだを詰めていた間に、彼等から泳ぎでた鯨がひっかえしてきて、ふたたび彼等のそばを矢のように通りすぎながら、片方の横腹をまるだしにしてみせたが、その瞬間鋭い叫びがあたりにひびいた。鯨の背にいく重にもくくりつけられ、昨夜の間に鯨が彼にぐるぐるとまきつけたいく巻きもの索に羽交い絞めにされて、半分裂けた拝火教徒の身体が見えた。黒てんの着物はずたずたにちぎれ、腫れあがった両の眼はまともにエイハブに向けられていた。

「…えっと、この人どの人だったかな?」というくらい地味な乗組員が非常に劇的な最期を遂げている。
 こっちだろー、メルヴィル。船長の死に方がこっちだろー。
 おそらく、みんながそう思ったため、のちの映像化作品ではエイハブ船長は鯨にぐるぐる巻きになって死んだ、ということでもう一件落着してしまったのだ。おもしろいな。

 こんなかっこいい死に方を思いついたのに、どうしてメルヴィルは船長用にとっておかなかったのか。
 読んでいると、あんまり「物語を終わらせる」ということを意識して書いていなかったような気がするのだ。そもそも話をぶった切って、いきなり鯨油の取り方の話をはじめたり、生物学的な鯨の説明をはじめたり、なんでこんなもの読まされるのか合点のいかない寄り道が多いのでこの分量になってしまっているのだ。

 メルヴィルとしてはある老人の異様な熱が、孤立無援の海の中で、神のような生き物を求めてさまよっている「状態」をずっと書いていたかったんじゃないか。どこかで終わらせて出版しないとお金にならないので、「ここがやめ時かなー、ここでやめるしかないかなー」というところで渋々船長を殺したのかな、などと想像したくなるところがある。

 エイハブ船長はところどころで、造幣局で作るドルにつながらなければ船は出せないが、本当はそんなことみんなバカバカしいんだ、というようなことを言うのだ。これは、もしかしたらメルヴィルの意見に近いのではないか。「商品化できる形にパッケージングすることなんか、本当はどうでもいいんだ。偏執狂の老人と鯨と海の話がずーっと書かれてるの、面白くない?」っていう、作品なのではないか。

頭から読んで最後まで読み終わろうと思うとなかなか付き合いきれないのではあるけれど、すごく面白い。なにより、変。

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