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読んでない本の書評62「ベニスに死す」

93グラム。タイトルで「ベニスに死す」って宣言されて、ずーっと読んでいったら本当に最後の一ページできっかりベニスで死ぬ。これほど几帳面に看板通りの進捗をとげる小説も珍しいのではないか。さすがドイツ製。

 前半は高名な作家アシェンバハがどれほど人から尊敬される仕事を成し遂げてきたかというような話である。
 「なんの話よ」と思いながらものすごいスピードで読み進める。
 早くベニスに行け、そして美少年を追いかけろ。こちらは完全によこしまな心で読んでいるので、トーマス・マンの筆致で描き出される完璧な美少年がどれほどキュンキュンくるものか知りたくて気持ちがはやっているのだ。
 その人は、小説の三分の一ほど過ぎたあたりでようやく現れる。

アシェンバハはこの少年の神々しいまでの美にまたしても驚嘆した、いや、愕然とした。今日、少年は青と白の縞模様の、胸に赤いリボンがついた、リンネルのかるやかなブラウスを着ている。頸はあっさりした白い立襟で閉ざされている。この服装全体の性格にとりわけエレガントに似合っているとも思えないこの立襟の上には比類ない魅力をそなえた花のような顔がのっている。--パロス島産の大理石のような薄黄色の光沢をおびたエロスの顔であった。上品で生真面目そうな眉をして、こめかみと耳は直角に垂れた捲き毛にくらくやわらかに覆われている。

  ……にやにやしてしまう。褒め過ぎのあまり、なにがなんだかわからない。
 大理石に産地の別があるなんてこともしらなかったが、ちょっと調べてみるとパロス島の大理石とは古代ギリシア遺物の彫刻の八割に使われているものらしい。「古代ギリシア彫刻のような」ではなく「パロス島産の大理石のような」となるあたり、手垢のついた言葉の世界にこの美少年を置きたくないという異様な愛情が伝わってくるみたいで、読んでいておかしなテンションになる。

 だいたい全編にわたってこの少年は神格化されすぎていて、実在するのかどうか怪しく思えるのだ。
 少年が美しすぎるせいでアシェンバハはコレラ蔓延中のベニスから逃げ出せずにいる。一方、少年一家がいつまでもベニスを去らない理由はなんだかよくわからない。アシェンバハの死に際して少年は遠くから魂の導き手のような不思議な合図を送る。そうして老人の死とほぼ同時に少年の一家はあっさりベニスを去っていく。
 どう考えても、アシェンバハの魂をとりにきた死神ではないか。

 絶世の美少年の無邪気な導きによって、醜く、厳格で、哀れな老人の魂が召されていく最後のシーンはすばらしく幻想的でかっこいい。ここで最高にうっとりさせられたあと、少し落ち着きをとりもどして、読み飛ばしてきた前半部分に戻ってみる。
 すると、実在するのかどうかよくわからない、アシェンバハにしか見えてないのではないと思われるような謎の人物は最初から出てきていることに気付く。
 冒頭、仕事に疲れたアシェンバハが自宅周辺を散歩していると、墓地のかたわらにある斎場から異様な風貌の男がいきなり出てくるのである。その男を見ているうちにどういうわけか旅に出たくなってしまい、結果ベニスに死の旅に出ることになってしまうのだ。

 なんと、アシェンバハは死神の手から手へリレーされて最後に美しい死神の元でとどめを刺されていたのである。びっくりした。ミーハーの一心で美少年に気をとられている間に、こんなにもかっこよく手回しの行き届いた小説を読まされていたとは。なんというトーマス・マン。

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