110「オン・ザ・ロード」ジャック・ケルアック
266グラム。「不良」のもつ生命力、お行儀の悪さ、行動力に憧れるけど自分は人のいいおとなしい常識人であることから脱出できないあたり、尾崎豊的なかわいらしさを感じる。
本を読むとき一冊だけを読むとは限らないものだ。どれかが読みかけだとしてもたまたま手元にそれがないので、手近な別の本を読み始めてしまって、結局二冊平行して読むというのはよくある。
ケルアックの『オン・ザ・ロード』を読んでいる途中で、なんとなくプルーストも読み始めてしまった。
フランスのブルジョワ一家が田舎で愚痴を言ってる話と、アメリカの落ちつきのない若者がセックスとドラッグにまみれながら大陸を行ったり来たりし続ける話。ずいぶんな組み合わせで読み始めてしまったものだな、と思った。
読み進めるにしたがって、今どちらを読んでるのかわからなくなるくらい、印象が似てるような気がしはじめた。おやおや、と思っていたら『オン・ザ・ロード』にプルーストが出てきた。
新しい木製のフルートをやつは取りだした。うるさい音をすこし鳴らし、靴下のままでぴょんぴょん跳ねた。「どう?」やつは言った。「しかし、もちろん、サル、おれだってじきに話せるようになるさ、おまえに話したいことはたくさんあるんだし、じっさい、けちな競走馬みたいな根性でこのすごいプルーストを大陸を渡ってくるあいだずっと読んでたんだし、いろんなことをどっさり考えたから、ぜんぶをおまえに話す時間はないかもよ。
他動症的な傾向があるディーンが5日もかけて鉄道で大陸を横断してくる間、プルーストをボロボロになるまで読みこんでいる。ディーンたちの無軌道な旅を読みながら、並行してプルーストを読んでいたこちらも驚いた。
次々と湧き上がってくる感情をいちいち全部つかまえて言葉にしていかないとどうにかなってしまいそうな衝動。そのまましゃべったところでまるごと人に伝わることはないのに、ぜんぶ伝えてしまいたいという不思議に切ない情熱。そういう文章の印象が、似ているように思える。
プルーストも、身体が頑丈で、権威的な父や、家庭の安心を与える母や祖母たちがおらず、田園風景の代わりにどこまでも続く広大な大陸があり、紅茶にマドレーヌのかわりに麻薬をたしなむ環境にいたら、青春時代にやはりロードを目指したのだろうか。
後半、「聖なるマヌケ(ホーリー・グーフ)」が刺激を求めることをやめられなくていろいろな関係が失いながらも旅に出ていくさまは孤独だが、第一部ではじめてヒッチハイクの旅をはじめる章はなにもかもが新鮮で希望に満ちて楽しい。
ずいぶん昔ソローの『ウォールデン』をカバンに入れてできるだけ遠くへ、という旅をしたことがあるのを、気恥ずかしくも思い出す。ずいぶんと凡庸で安全で常識的な旅だったけど、それでもわたしにとっては分相応なロードだった。道がある限りはその先に何かある、というのは退屈な脳みそにはじゅうぶんに刺激的な発見だ。そして気力体力もわりとすぐ限界がくるので、たいしたこともせず、何も見つけられなくても、なんとなく旅を終わらせられたのである。たいていの青春は、幸か不幸かそんなものなんだろう。
「どこかへ行く途中かね、それとも、ただ移動してるだけか?」質問の意味わからないが、しかし、いい質問ではある。
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