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アラフィフ、自分の伸びしろに気づく

ふとしたことで、「去年の春は紙製品もマスクも品薄状態だったな」と思い出した。アルコール消毒液も買えなかった。通勤途中に通るドラッグストアには、開店前から相当の人数が並んでいた。ネットでマスクやアルコール消毒液を見かけても、とんでもない値段だった。裁縫が得意でないわたしでさえ、息子の小さくなった洋服や肌着を使ってマスクを作ったりした。

世の中の人間のほとんどが経験したことがない、わけがわからない状況に直面し、どう対応していいかわからなかったと思う。わたしもその一人だ。

状況が大きく変化しているわけではない。けれども1年前と比較して、どう対応していいかわかってきていると思う。

不便な思いをしているけれど、一年前の今頃に比べたら「こんなものかな」と納得している。

悲観的になっているわけでも、やけくそになっているわけでもない。去年の春に初めて出た緊急事態宣言の期間から、自分を見つめ直す時間が増えたことで、内観することが多くなってきて「まあこんなものか」と思っているのだ。

内観することで、他人の言動に振り回されることが少なくなった気がする。

他人の言動や情報に振り回されるのは、心身ともに疲れる。それなら「自分がやりたいことは何か。そのために何をするべきか。」に目を向けて、自分のペースで実行する。それを継続していると、他人のネガティブな言動に対して「あ、そうですか。」と、淡々と対応していることが多くなったことに気づく。

一年前にはこういう変化を想像していなかった。正確に言えば、他人が変わることを求めすぎていた。まだ人間として学ぶべきことが多いことに気づいていなかった。学ぶべきことは沢山あるのに、人間としての伸びしろに目を向けていなかったことに気づいてくる。
他人に対して色んなことを求めていた分、自分に対して時間も労力も使えばよかった。もったないことをしたなと思っている。
「習うは一生」という諺の意味を改めて考え、大事なものを見落とししていたことを感じる。

伸びしろが少しでもあるなら、内観をつづけようと思う。そして「やろう」と思ったことを実行し続けよう。アラフィフ、まだまだ見落としてることがありそうだから。



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