水槽の中のグッピー
グッピーが、家にいる。
彼らは、水槽の中でそれぞれパートナーを見つけては、子孫を残す。
泳いでいる時は、何を考えているか分からない。それどころか「考える」という行為をそもそもするのかが分からない。
彼らは、魚生の大半を水槽の中で暮らしている。
関われる魚の種類、数も僕が追加しない限り、とても狭い範囲に限定されており、彼らの魚生は恣意的に限定されたものとなってしまっている。
彼らにとって、自由はあるのか。
故郷は存在するのか。
ときめくような出会いはあるのか。
喜びの数はどれほどあるのか。
水槽の中で孵化したグッピーは、僕が逃さない限り、生涯水槽の中で暮らすことになる。
つまり、故郷も彼らの世界も、これから起こる可能性も全て水槽の中で限定されてしまうのだ。
彼らのパースペクティブは、非常に限定されたものだが、食と住み心地と命の危険の心配はない。
常に、人間の管理下で空間的な広さ以外は常に快適に保たれているからだ。
彼らは、幸せなのだろうか。
今、小さな宇宙を僕が操っているのだとすると、それは地球に中で暮らす僕らの縮図でもあったりするのかもしれない。
地球というパースペクティブの限界を宇宙空間で包み、それを誰かが整えているのかもしれない。
グッピーの宇宙は、小さい。
だからこそ、僕は彼らにたくさんの可能性と快適さを提供し続ける義務があるんだろうな。
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