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渡る中国にも鬼はなし(33/67)

第4章 中国第3日目 蘇州->上海->昆明
華頂寺


  切りの良いところで観光バスは出発することにし、その龍門からの帰り道で私の持っているガイドブックには載っていない「華頂寺」という仏教寺院に立ち寄りました。ここはなんとか私にも見学できそうでしたので、皆さんにお願いしてバスから下ろしてもらいました。

 今や中国では仏教はかつての勢いはなく、こういうひなびた寺院は国が管理しているそうです。当然僧侶も信徒もいません。ただ建物だけが観光のために残っています。弥勒菩薩という釈迦時代の有名な菩薩の名前が見えます。やはり本尊は釈迦なのでしょうか?

 しかし、この寺院はあまりにぴかぴかした、はでな装飾で飾られていて、日本のお寺の印象からはかなりかけ離れています。色使いも日光東照宮のようです。よく知りませんが、東京の歌舞伎町のネオン街のようなけばけばしささえあります。

 インドで発祥した仏教はやがて東南アジアに伝来し、さらには中国にも達し、数々の仏典が中国語化され、多くの信徒がいたのですが、釈迦自体が予言したようにしだいにその法力が衰退し、「末法」となり、中国では、もはや建物だけとなってしまいました。

 一方日本という国は不思議な国で、中国文化を取り入れつつ、自国文化を生み出し、漢字からカタカナ、ひらがなを生み出したように、中国から伝来した仏教をさらに自国で発展させ、新たな仏教を生み出したのです。

 創価学会員が朝晩読む釈迦の説いた法華経も、鎌倉時代に生まれた日蓮によって、法華経は日蓮の魂そのものである南無妙法蓮華経の解説、説明文であるというまったく新たな解釈がなされたのですが、この旅行記の目的とはかけ離れますので詳しくは述べません。

 私以外の訪中団の一行はこの寺院を単に観光の目的で訪ねたのでしょうが、現役の仏教徒である私には、そのひと気もなく静かで夕闇の近づいた仏教寺院の中を歩く時、特別の感慨がありました。かつてその仏教を信仰した多くの中国人たちは一体どこに行ったのだろう……。まるで墓地の中を歩くような気持ちさえありました。

渡る中国にも鬼はなし(34/67)


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