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渡る中国にも鬼はなし(34/67)

第4章 中国第3日目 蘇州->上海->昆明 
掛け軸


 中国人の現地ガイドが、あまり有名でないこの寺院に連れてきたのには訳があったと思っています。実はこの寺院の中にみやげ物屋があったのです。このお寺は階段が多く、途中から私と母は、お寺の入り口を少し入ったところにいたのですが、どういう訳か、現地の中国人が親切にも私の車イスの介助をしてくれて、建物の中に案内してくれます。

 その建物は2階建てになっていて、一見してそれは画廊というか、掛け軸の展示場のような所であることが分かりました。奥まったところに先生と言われる人がいて、その隣には日本語の堪能なよくしゃべる男性と数名の男性がいます。その「シャベリン」の男性の説明によると、この先生が直々に掛け軸の絵を描き、その売った収入はお寺の修復費に当てるという美談を説明します。

 先生が直々に筆を持ち、すらすらと揮毫(きごう)します。ふと見ると先生の後ろには、先生直筆の掛け軸がびっしりと並んでいます。このあたりになるとその「シャベリン」の男性が「本日はこの掛け軸を2万3千円でお譲りできます」みたいなことを言い始め、次から次に掛け軸の値段を言い出しました。私はその値打ちなど分かりませんが、確かに安いみたいです。

 ここに及んで中国に来て創価学会員でありながら、ただの1編もおつとめしていない母は、物欲に負けたのでしょうか、なんか変です。私に「あの掛け軸いくらくらいか聞いてよ」と言い始めました。何かそわそわしているというか、舞い上がりつつありました。「シャベリン」の男性に値段を聞いている間に、今度は別の掛け軸がいたくお気に入りとなり「これな、1万5千円やというんやけど」と私に訴えます。夜店のフランクフルトをほしがる子供とほとんど変わりありません。

 「フランクフルトがほしいなら買いましょう!普段母をどなりつけている私の中の仏心は、ほぼ全開状態となり、大量放出状態となりました。「いいよ、いいよ、なんでもいいよ」…まぁこういう心境になりました。中年の男性が若い女性からものをねだられた時のような心境に近かったかも知れません。

 しかし、私はなんといっても朝晩きっちりとおつとめしていたお陰で頭脳明晰、意志力強固でしたから、その「シャベリン」の男の商売のやり方をつぶさに分析し、作戦を瞬時に練りました。いかに自分はその掛け軸を必要としていないかを「シャベリン」に説明しました。「シャベリン」が私の母にその掛け軸を売りたいのは見え見えです。かといって、こっちも全然買う気がないのではなく、値段によっては買うかも知れないというそぶりも見せる必要があります。このあたりはゲームというか、遊びの世界であり、私はそのゲームを楽しんでいたのです。

 「今買うとね、まだこれから移動しないといけないのに、荷物になるしねぇ」とつぶやいてみます。「シャベリン」は少し値段を下げました。まだ下がりそうです。あまりこちらからは動かないことにしました。気のないそぶりをしてみます。気のないそぶりと言えば、これはどこか男女の恋愛に相通じるものがあるように思いましたが、このあたりは私にはぜーーんぜん分かりません。

 しかし、言うなれば、私は求愛されているようなもので、しかも掛け軸を売っているのはなにもここだけではありません。いわば求愛相手は他にもいたのですから、いわば「余裕のヨッチャン」状態でした。「シャベリン」はまた値段を下げました。私は求愛者に冷たくし続けます。なにしろ「余裕のヨッチャン」です。私が本当に商売人であったなら、きっと我々がその画廊というか展示即売会を引き上げる直前に値段交渉したら、あるいはもっと安く買えたかも知れません。

 しかし、なにも私は掛け軸を買いに訪中団に参加したわけではありません。目的は他にあったわけですから、ある程度の段階で値段交渉をうち切りました。節度ある値段交渉をしたわけです。最後にぐっと低い値段を私が「シャベリン」に言いました。それまで私を見ていた「シャベリン」はそのとき、大先生の方をチラッと確かに見ました。

 この瞬間、この大先生の目は芸術家のそれではなく、なんともどす黒い鈍い光が宿っていたのを私は見ました。「シャベリン」の視線と大先生との視線は一瞬交差し、大先生はほんの少しうなずきました。何のことない、この大先生が最終決定権を持っていたのです。「シャベリン」が大先生に確認を求めたということは、自分の裁量を越える金額だったためであり、大先生がうなずいたということは「よろしおま」ということを「シャベリン」に伝えんがためであったということは瞬時に分かりました。

 どこまでもドライアイスのように冷静な私は、少し離れた所で、箱に入れられた戦利品の中身をもう1度広げて確かめるということまでしました。「シャベリン」が怒って別の掛け軸とすり替えるかもしれないと思ったからです。しかし、それは考え過ぎだったようで、母の希望であった冬景色の掛け軸が中にしっかりと収まっていました。

 結局その展示即売会場では私以外にも数名の方が掛け軸を買われたようです。したがってかなりの金額がその先生の手元に残ったでしょうから、もし来年、亀岡市民友好交流訪中団がこのお寺に参拝する機会があれば、きっと立派に修復されたお寺を見ることになるでしょう。

渡る中国にも鬼はなし(35/67)


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