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渡る中国にも鬼はなし(35/67)

第4章 中国第3日目 蘇州->上海->昆明 
分かれ道


 結局その寺を6時に出発し、ホテルに戻ったのですが、展示即売会場までは熱烈歓迎で、2階まで車イスの私を抱え上げてくれた中国人は、私が値切って掛け軸を買ったせいかどうか、帰る際は知らんぷりで、仕方ないので、また訪中団の一行にお願いして下ろししてもらい、バスに積み込んでもらいました。

 地元の観光ガイドは観光と称して、我々をみやげ物屋に案内し、バックマージンを受け取るということをしていたのです。しかしながら、こういうやり方は日本でもおなじみであり、さらに中国の特殊な事情もあったのです。というのもこの中国ではこういう観光ガイドは会社から一切給料をもらわず、みやげ物屋からだけの見返りで生計を立てていたからです。

 ホテルまで帰る途中、私は少々憂鬱(ゆううつ)でした。私はどうしても添乗員さんに話をしなくてはなりませんでした。どういう話かというと、母親の事でした。すでに中国2日目の蘇州で、少し歩くと皆から遅れ始め、すぐに座りたいと言い始めました。おまけに3日目は朝からバスと汽車と飛行機で蘇州から昆明まで2千キロ以上移動してきました。さらに3日目はよせばいいのに断崖絶壁をくりぬいて造られた龍門まで歩いていきました。これがかなり応えたようです。明日は世界園芸博ということで広いところに行くようです。

 それに私の頭の中には例のXデー(うん*の侵攻攻撃)があります。日本にいる時から正露丸で体調を整えました。しかし、いくら「ラッパのマークがついてるぞ!」といえども、いつ見捨てられるか分かったものではありません。そろそろおなかが張ってきました。明日あたりにはどうも出そうですが、軟便であった場合、すぐに出てしまいます。ましてや下痢でもしていたら、1度で済みそうもありません。便所から出てすぐまた舞い戻るという事態も可能性としてあります。日本では母に簡易便器をお願いし、排便して5分もしないうちにまた便器を頼むことも結構あります。そうなると広い世界園芸博会場でどんなことが起こるでしょうか? 

 母の都合、私の都合――いろいろなことを考え合わせ、明日の世界園芸博は取りやめて、ホテルで1日ゆっくりするのも良いのではないだろうかという結論を説明しました。やはり73歳の母と私はどうしてもこういう体力がいるツアーは少し無理がありました。それに団体行動ですから、あまり全体の足を引っ張りそうな事もしたくありませんでした。もし無理をして母が歩けなくでもなったら、車イスがもう1台いります。いやもう車イスは私で十分です。そんなことを説明しました。

 後のことになりますが、このとき私からの申し出に日本から付いてきた添乗員さんは「ほっ」としたそうです。明日の博覧会会場はなんとかなっても、明後日の石林はとてもとても車イスではいけないことは添乗員さんが一番知っていたからだそうです。ですから、いつその話を切り出そうかと悩んでいたそうで、言うなれば私の話は「助け舟」になったのです。

 こういう理由で私と母は団体旅行から一時的に離脱していきますが、このことがその後思っても見ない体験をすることになります。

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