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35歳のおじさんがプロダンサーになるまで 最終話

2015年4月。

私は仕事が原因でうつ病にかかった。

簡単に言えば、大きな仕事に携わり、無理をして働いた結果の「燃え尽き症候群」的な症状だった。

元々、会社員気質の性格では無かったので、最後まで馴染めずにいた。
不得意なものを柄にもなく頑張れば、どこかにガタがくるのは当然だ。

実際、その時期の記憶は、全く無い。

ただ、ダンスが救ってくれたことは覚えている。
(もちろんメグちゃんはずっと支えてくれいた。)


少しだけ話はそれる。

ダンスはスポーツ的なものに見えがちだが、私は芸術(アート)に属するものだと思っている。

もちろん、スポーツと呼ばれるものにも芸術性は多分に存在しているので、単純に分けることはできない。

芸術(アート)になんの意味があるのか?
これは時代を越えて問われ続けてきた問いだと思う。

私の答えとしては、その問い自体に意味がないと思っている。
そもそも言葉にできないものだからだ。

しかし、本質的な答えは分からないが、部分的な答えなら言葉にできる。
それは私がダンスに救われた理由に繋がる。

芸術(ダンス)は、何があっても、例えあなたがこの世界でひとりぼっち(のような気持ち)になったとしても、常にあなたのそばにいてくれる。

あなたの居場所になってくれる。

そして誰に対しても平等に、その人の全てを肯定し、受け入れてくれる。

必ず。


30代最初のダンスバトルで予選落ちした時、ダンスの神様は私にほほえまなかったと感じた。

つまり、ダンスは私を選ばなかったと感じた。

しかし、その浅はかな気持ちこそが、これまでの結果の根本的な原因だったと気付いた。

『PLB』のすべてを見終えた時の"閃き"。
その後、私のすべてを劇的に変えた"閃き"。


それは


「自分のダンスを踊る」


という、言葉にすればごくごく当たり前のものだった。


それまでの私は、結局のところダンスに「正解」を求めていた。

「私はどこか間違えていて、世界のどこかに『それ』を訂正してくれる正解が存在している」

そう心の奥底で思っていた。

地球No.1を決めるといっても過言ではない『PLB』での超ハイレベルなバトルの数々。

国を、地域を、己を背負ったダンサー達の、渾身のダンス。

人種、容姿、ダンススタイル、一人一人の何もかも違っていたが、たったひとつだけ共通しているものがあった。


それは


「みんな『自分のダンス』を踊っていた」



この世界でたった1人。

自分のダンスを美しく貫いていた。

そして、ダンスはそういう人達のすべてを受け入れていた。

いつも私自身や私のダンスを否定していたのは、誰でもない「私」だった。


病気になってから1ヶ月は、完全に引きこもっていたらしい。

リハビリはダンスから始まった。
久しぶりに踊った時、体に少しずつ血が巡るような感覚、意識が覚醒していくような感覚だけは、いまもしっかり覚えている。

またダンスに救われた。

ダンスは離れることなくそばにいてくれた。
ダンスが無ければ、いま頃どうなっていたか分からない。
ダンスに対する心からの感謝。
ダンスを心から愛する気持ち。

この出来事を経て、私が探し求め、集めてきたすべてのピースが繋がった。

ダンスとの出会い。
ダンスを始めようと決めた瞬間。
ダンスを続けようと決めた瞬間。
数えきれないほど重ねた悔しい思い。
たくさんの影響を受けた素晴らしいダンサー達の姿。

そして、自分自身のダンスを踊ろうと、覚悟を決めた瞬間。

そのすべてがダンスへの、私自身への感謝の気持ちと共に、ひとつになった。


その後、私がどうなったかについては、以下のとおり。

《2015年》
carnival vol.2 準優勝
carnival vol.3 準優勝
carnival Grand championship LOCK 準優勝
 BON special 優勝

《2016年》
carnival vol.2 準優勝
carnival vol.3 優勝
ability vol.2 準優勝
ability vol.4 優勝
ability vol.5 優勝
ability vol.6 準優勝
ability vol.7 準優勝
WDC 九州 準優勝(2on2/ノッポ、メグ)

《2017年》
carnival 優勝
L2B 2017 優勝(2on2/ノッポ、ぱっぴー)
WDC 九州 準優勝(2on2/ノッポ、メグ)

《2019年》
ability 優勝
carnival Night 優勝
L2B 2019 優勝(2on2/ノッポ、メグ)

《2020年》
L2B 2020 優勝(2on2/ノッポ、メグ)

勝負は時の運。
この結果には、運の要素もかなりあると思っている。

もちろんベスト4以下の結果もあったが、驚くことに予選落ちはほとんどなくなった。

これまでの物語を読んで下さった方には言うまでも無いが、2015年以前の経歴がないのは、もちろん書けるようなことが一切無いからだ。

自分でも信じられないが、すべてが180度変わった。

翌年の2016年には、目標としていた『Carnival』で優勝することもできた。
(ここにも奇跡のような物語があるが、それはまたの機会に。)

『WDC』という世界規模の大会に、メグちゃんと2人で九州代表として二年連続出場する経験もできた。
(これにも物語があるので、またいつか。)


ダンスを始めた年齢も遅く、田舎に住みながら、会社員をやりながらダンスを続けていたため、環境的には恵まれていなかったかもしれない。

むしろ、ダンスをやめる理由には恵まれていた。

全国的に見ても、私のような環境で遅咲きで急激に結果がついてきたダンサーはいない、らしい。

それでは、私に特別な恵まれた才能があったのだろうか?

そんなことはない。
あったならば10年近く潜伏せずに、もっと早く活躍できたはずだ。


答えはシンプルだった。


"自分を信じる。"

"そして、自分の愛するダンスを信じる。"


言葉ではなく、全身でそれを理解することは、簡単ではないと思う。

時に悩み、時に苦しみ、ダンスを嫌いになる瞬間もあるかもしれない。

しかし、才能や環境に関わらず、すべての人間に平等に与えられた唯一の可能性だと思う。


21歳。
自分探しの旅と同時にダンスが始まった。


30歳。
本当の自分と出会うまで約10年かかった。


そこからの数年間は、それまでの遅れを取り戻すべく、毎週のようにバトルに挑戦し続けた。

私自身のすべてを懸け、文字通り魂を削りながら闘った。

挑戦し続け、ダンスを通じて私が得たものは言葉にできず、また、計り知れない。

ダンスへの心からの感謝。

そして微力ながら、この経験を未来に向けて還元したい。

誰よりも遠回りをした私にしか伝えられない言葉、そして踊りが、きっとあるはず。


その想いを胸に、


35歳のおじさんはプロダンサーになった。


どこかでダンスに憧れる、あなた。
どこかでダンスに悩む、あなた。
どこかでダンスを諦めようとしている、あなた。

これを読んで何か心が動く瞬間があれば、幸いです。

もちろん私の物語はここで終わりではありません。

これからも、きっと失敗を重ねながら挑戦し続けていきます。

どういう結末が待っているのか全く想像がつきませんが、

ぜひ観ていて欲しいです。


自分を信じる人間の可能性を。

自分の愛するダンスを信じる人間の可能性を。

そんなおじさんのこれからの物語を。


【現在の自分から一言】
『35歳のおじさんがプロダンサーになるまで』をここまで読んでくださった仏のように徳の高いみなさま!
本当にありがとうございます!

結局、この物語を通じて私が書き残したかったメッセージは
『自分を信じて』
この6文字です。

これは私自身へのメッセージでもあります。
挑戦し続ける限り、人生に悩みや苦しみは必ずついてくると思います。
もちろん喜びも。
しかし、自分自身を知り、自分自身を信じることで、道は必ず開ける。
人生はその繰り返しだと思います。
この物語が少しでもみなさまのお役に立てたのなら、とても嬉しいです。

続編は『45歳のおじさんが○○になるまで』となる予定です!
それまでに、また新たな物語を蓄えるべく、挑戦していきたいと思います!

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!

☞未来へつづく…



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