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奄美群島に住んでる人たちは琉球人か?

結論から言うと、琉球人じゃない
奄美は薩摩人の入植地であり、本来の奄美人は西南戦争の後に島外に追い出されたと見る

もちろん琉球人の血がたくさん交じってはいるが
今の奄美群島に住んでる人たちは薩摩藩から赴任して
琉球人奴隷を管理するために働いてた人たちの子孫である

だから、今の奄美群島人は薩摩人=鹿児島人と考えるのは自然だ


奴隷として管理されてた琉球人はどこにいったのだろうか
彼らが本来の奄美人であったことは確かである

西南戦争に敗れたことによって鹿児島県は
琉球人奴隷に対する所有権を失っていく
その戦争の後に琉球人奴隷は現在の主に西日本へ
実質的に強制連行されていったようだ

そこで悪い言い方をするとエタヒニンの子孫も
ビックリするようなレベルの貧しい生活を強いられていた

あの辺で数代前から、貧しい生活をしていて
少し日本人にしては変わった風貌をしている人は
もしかしたら古い時代の琉球人の血が残ってるかもしれない

この琉球人奴隷が連れていかれた部落は特徴がある
特定しようと思えば、ある程度は特定できるだろう

ただ、奄美から移住を強いられた琉球人奴隷は
そこの地元民ではないし、土地を所有している訳ではない

最初は主に炭鉱労働が中心であったようだが
その仕事が減ると、次の職を求めて移住しただろう

もともと奄美に住んでいて奴隷として管理されていて
西南戦争の後に全国に人身売買されていった琉球人は
今はどこに住んでいると特定することは難しいのだ….


琉球人奴隷がどうなったかについての
細かい資料は残っていない

おそらく奴隷として生まれた琉球人は
琉球方言もまともに話せなかった可能性がある

彼らが直接、残した資料はない

奴隷を管理するために奄美に赴任し
今は奄美で生活している薩摩系の知識人が
少しずつこの歴史を語り始めたという感じだろう

現在は奴隷として主に西日本に移住した琉球人は
日本人と混血し、完全に同化したと考えられる

明治政府はこの歴史をタブー扱いしてたように感じる
色んな本を読み漁って私が感じたことだが

だからアメリカがこの歴史を知らなかったのは不思議ではない
大東亜戦争が終わった時点では奄美群島人はあくまでも
薩摩系の子孫が中心となって住んでいた

本来の琉球人は、内地に移住して日本人も嫌がる仕事を
日本人では考えられない低賃金でやらされ働いていた

だから、アメリカから奄美群島も琉球諸島として
切り離されようとした時に混乱したのだろう

そこに住んでる人たちは系統としては
もう完全に薩摩人が中心だったからだ

これは沖縄と奄美の日本復帰に置いて
話をややこしくした部分であった


現在、在日朝鮮人の陰謀論ほどではないが
この全国に強制連行された琉球人奴隷の子孫について
さまざまな陰謀論があるのは分かっている

それは、どれも否定はできないが肯定もできない
あくまでも陰謀論の域をでない範囲である
(個人的には統一教会の陰謀論よりはマシ
 程度に思っていたけれど….あっちはマジだった)

琉球人奴隷が内地に移住して、もう100年以上は経っている
彼らに対して私は強い興味を持っているが
そっとしておくべきとも思っている

今は琉球人奴隷の子孫が、普通の日本人として
幸せに生活していることを願うばかりである



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