第二子妊娠中に乳がん宣告された時の話。


こんにちは。

今回は乳がん宣告時のことでも記していこうかなと。

で、のちのち詳しく、経緯とか、やってきた療法とか、食事とか、なんかほかにも色々、記していこうと思っています。

まず、私は第二子妊娠中に乳がん発覚、
妊娠9か月の時に全摘出手術を経験し、
その一か月後に帝王切開で出産、
という、2か月連続手術をしています。

さすがに2か月連続での外科手術、
コロナでの面会完全禁止はしんどかったな。
よく頑張った自分。
ありがとう自分。




去年2020年10月、第二子を妊娠していることが発覚しました。

望んでいた中での妊娠発覚で、夫婦共々喜びました。
やった~男女どっちかな~
無事生まれてきてくれるかな~
鼻血出ないかな~
(第一子の時、予定日直前に妊娠高血圧症候群になり鼻血→緊急入院→子宮口全然開かないのに赤ちゃん苦しそう、ということで緊急帝王切開になった経緯あり)
とかなんとか言いながら、
全然まだ言葉も出ない一歳手前の息子にも
妊娠報告をしたのを覚えています。

で、一人目は吐きづわり系でしたが、二人目は食べづわり。

ひたすら何か食べていないと気持ち悪い感じ。
その頃の私の食事はすごかった。笑

マクドナルド!
コンビニのサンドイッチ!
スーパーのお惣菜!
モスバーガー!
ミスド!
こってこてのピザ!
マクドナルド!
コンビニのサンドイッチ!
・・・エンドレスループ。笑

今思えば、がんちゃんをそれはそれはすくすく育てる
血液ドロドロ食の生活。笑
でもその時はつわりが辛いから楽して食べれたら、正直なんでもよかった。笑
食生活についてはまた後日書きますが、
昔からチェーン店ラバー、ジャンクフードラバーだったので、
なーんにも思わなかったし、むしろ食べたいもの旦那さんが
買ってきてくれるのでラッキー!の感覚まであった。笑
今思うと、すごい。うん。

妊娠発覚からすぐに、つわりがしんどすぎるのもあって
上の子の授乳をまだしていたのですが、断乳を決意。
徐々に、というか結構スッパリ、断乳しました。
それこそ「断乳マッサージ」とかもしなかったし、
誰のアドバイスも受けずに、何のケアもせずにパッとやめたので、

「右胸しこりあるな~」「断乳失敗したな~」と思い、
一度助産師さんにおっぱいマッサージもしてもらいにいきました。
すでにその時しこり約7~8センチ。
押すと母乳は出ていました。乳首も普通。

年明けて2021年1月。
あまり気にしていなかったしこりが、少し痛み始めた。
ズキ、という感じ。
乳首もなんか右だけ、うにゃ、て少し顔しかめてる感じに変形してきていた。

妊婦検診で産科の先生に「断乳失敗しちゃって右胸しこりあるんです」と相談し、見てもらったところ、
「ん・・・、乳腺外科行こっか」
と言われ、そのまま乳腺外科を受診。(同じ病院内にありました)

ベッドに横になりエコーで見てみるとなんとまぁ右胸真っ白。
「うわ、こんなにおっぱい詰まってるんですか」と言うと、
「いや、、とりあえず、うん、ちょっと細胞とるねー」と
生体検査することになり針を刺される。

検査結果を一週間後に聞きに来てください、と。
「乳がんの可能性が非常に高いと思うね」と一言。

ん・・・?
乳がん・・・?
てあの乳がん・・・?


大好きな坂本裕二さんのドラマ「カルテット」で出てくる台詞。

「人生には三つの坂がある。
  上り"坂"、
  下り"坂"、
  ま"さか"。」

.なんかそれがすぐに頭に出てきちゃって。

ほんとにあるんだなぁ、まさか、って。
とか思ったりして。
なんか実感なかったりして。

それから一週間は、もう気が気じゃなかった。
特に、乳がんかも、と言われたその日から3日間くらいがピークでそわそわしていて。
ネットでついつい検索してしまうやつ。
調べだしたら芋づるで色々出てくるから、必然的に生存率とかの数字的データも出てくる。
5年生存率。

5年。

息子は、まだその時6歳。
小学校入学の時には私はいない可能性が高いのか?



忘れもしない2月3日。
検査結果を聞きに夫婦で病院の診察室へ入る。

「やはり乳がんですね、ほぼ100%の確率で。」
と言われました。
旦那さんが「度合いは、結構深刻なんですか?」と聞くと、
「まぁ・・そうだね、多分結構進行してるんじゃないかな、このしこりの大きさだと」と。

合わせて医師からされた質問
「妊娠は継続を希望しますか?」

これには、「?????」しかなかった。

「え、します」

「そうですか・・・じゃあ」
ということで、妊婦で乳がんの患者を取り扱ったことがないため、
NICUもあるような大きな病院へ転院してください、となり
大学病院へ転院することに。

そこで改めて、精密検査をしてください、と。

あの質問は、
妊娠していると使える抗がん剤が限られ、ホルモン剤も使えないため
治療を優先するなら妊娠を諦めたら?という意味だったのだけど。



その日の夜は、
夫婦二人、手を取り抱き合って、
一晩中涙を流しました。

息子の無垢な寝顔を見るのも辛くて。

お腹に2人目の子どもがいるのに。
ようやく妊娠安定期に入り、さぁこれからだと人生の構想をわくわくしながら考えていたのに。

悪い結果になった時を想像してしまう恐怖と絶望の涙。
絶対に離れたくないという切望の涙。
どうしても長く一緒に、新たに迎え入れるはずの命と一緒に家族で歩んでいきたいという渇望の涙。

.
さすがに二日間くらいは、寝不足で頭が痛かった。笑


うちの息子、10か月くらいから寝かしつけは母親じゃないとダメになって。
どうしても寝るときは かあちゃんの添い寝。
一緒にごろごろしながら、くっついてきて寝る。

そんな息子が、私がいなくなって、泣き叫ぶ姿。
泣き叫ぶ息子を何とかあやそうと、必死に一人きりで頑張る旦那さんの姿。
(事実、手術二回連続の時、一週間ずつ私が入院で不在のためふたりが本当に頑張ってくれた話はまた後日。)

大きくなってきて、幼稚園や小学校に入って、父子家庭で
授業参観や運動会などのイベントを迎える二人の姿。

娘に先立たれて絶望する親の姿。

ほんとに悪い想像ばかりが頭を巡ってしまい、
冗談抜きで一日中隙あらば涙が出ていた気がする。

でもその時はなぜか結構立ち直りが早くて。

病院で宣告された次の日の2月4日にはすでに、
友人で子宮頸がんをそれで治した、と聞いていた「色彩治療」というものを行う治療院の予約を取っていて、
早速動き始めてもいた。
(色彩治療に関してはまた別途)


気づいたら実は全てが、必然に思えてくる。

その時私は、2020年にママのためのオンラインサロンなるものに入っていて(思考を変えることで笑顔を増やす、みたいなやつ)
そこで全国各地に、何でも話し合えるような最高の仲間ができていたこと。

その仲間があらゆる情報を提供してくれること。

そもそも、そういった出逢いのある場に自分が飛び込む決意をしたこと。

その場に飛び込むために背中を押してくれて、
しかも最高に生命力と愛に溢れる旦那に出会って結婚できていること。

愛する息子を授かり、今この手に抱き締められていること。

去年本格的に生活を見直し始め、シンプルな豊かさに向き合ってきていること。(徐々に食生活や、生活用品を変えたりしていました)

なりたい自分になるためには、漠然となりたいな、じゃなく、
明確に、完了形で、なっている!と宣言して歩んでいくと決めて進んできたこと。

外に求めていては何も変わらない。
自分を幸せにするのは自分でしかないと気づけていたこと。



私は三日坊主で。
飽き性で。

本気の玄米菜食とか、
生活習慣の改善とか、
冷えの改善とか、
色々その時からはじめてみた。

本気で向き合わないと、
少しくらいいいだろう、
では乗り越えられないと思った。

多分それを本気で試されている。
中途半端な試練だと本気にならない私の性分も分かった上で、敢えて究極の状況で試されている。
きっとそうなんだろう、と思っている。

正直、乳がんステージ1,2くらいで早期発見ですねよかったですね、
とか言われていたら絶対に私は
「手術したら取れるんですよね!よかったー手術とりあえずすぐしてください」
とかゆって、生き方を見直すことはしなかったんじゃないか。

ちょっとした誘惑にすぐ負けるんじゃないのか?
継続は力なりを体現することができるのか?

本気でこの状況に向き合えるのか?

自分自身と、家族と、周りの大切な人と、本気でもっと向き合う覚悟はあるか?

私自身 を本気で受け止める覚悟はあるか?

本気で生きる覚悟はあるか?

自分の使命を全うする覚悟はあるか?


ありがたいことに、本当に人に恵まれていて。
自然と出逢ってきた人から、
必要な情報が集まってくる。

本当に全ては伏線だったんじゃないかと。
伏線回収をしているんだなと感じるほどに。


そんな、2月のはじめ。


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