「わかる、できる」ということを伝えていく方法の考察
今月もあと2時間なのにほぼ真っ白、いつものことだがまたダッシュで書かないといけない、、
最近、「私これわかる(できる)のになあ、なんか伝わらないなあ」と思うことがよくある。
伝えるやり方などに改善の余地はあるとはいえ、わかること・できることが伝わらないのはとても悲しいしジレンマがある。
さらに、ただ悲しいだけでなく、本来は来てほしい仕事が回ってきづらいとかの直接的な影響もあるだろう。
そしてこれは広報活動でも同じのはず、無名の会社などだと尚更、証明するものがなく、わかる・できるということはうまく伝わらない。
それではどうやったら伝わるのか、コツなどあるのかどうか、広報活動や個人ブランディングなどを横断的に振り返って、改めて考えてみた。
「できる」その手法やノウハウをコンテンツにして発信する
本当にそれができるスキルがあるのだとしたら、やり方や、その実例を記事や動画などで発信すると良い。
本当にできるのかも? という信憑性が高まると同時に、「やりたくてもできていなかった人への知識提供」ともなりえる。
このやり方は、いわゆるコンテンツマーケティングの発想と近くなるはず。
さらに、この情報を読んでできるようになった人が、「この情報良いよ」と広めてくれるかもしれないし、そうなると「わかる・できる」ことの証明にもなっていく。
まずは「時間を使っても良い」を目指す
上記の続きだが、もし手法やノウハウを発信したとしても断片的にならざるを得ないだろう。
わかる・できるとはいえ、発信で見えるのはごく一部になってしまう。まだまだ、それがわかる・できる人であるとははっきり伝わってないし、実感が湧いていない。もしかしたら、口だけっぽく見えて何かうさんくさいと思われるかもしれない。
そこでまずは、限られた発信情報で「この人はわかる・できるかもしれないから、時間を使って●●しよう」を目指すといい。
何かしら、少しであっても、時間を使ってもらうということだ。
例えば、「発信されたコンテンツ一式を読んでみよう」でもいいし、「問い合わせしてみよう」でもいい。
「この情報を真似しよう」「SNSの発信を追いかけてみよう」でもいい。
お金をかける、というのはハードルがあるが、上記一例をやる程度の短さであれば、時間を使うのにハードルを感じない人もいるはずだ。
まずかここからスタートする。
数分であっても時間を使ってもらって、接点が増えたならば、期待や信頼が増える可能性が高まる。
できると知っている人からお墨付きをもらう
BtoBマーケティングで定番になっている事例コンテンツのように、どなたかに「この人はこれがわかる・できる」と証明していただくのも重要なやり方のひとつ。
その分野がわかる・できる人として権威があったり、専門家として認められている方であればあるほど、効果は高まる。
また、専門家ではなくとも、別の分野の切り口からその知識の重要性、専門性を語っていただくことも、広い理解につながっていく。
やはりどなたかにお墨付きをいただけるというのは証明としてとても有効で、とてもありがたいことである。
わざわざお墨付きをもらうので、その人との信頼関係も欠かせない。
注意点を把握し「地雷を踏まない」のも大切
これまでとは違う切り口だが、地味に大事かなと思っているポイントも合わせて書いておく。
これらの地雷を踏まないようにしつつ、わかる・できることを「証明」していくのが大事そうである。
1つ目に避けたいのは、コンテンツ発信や訴求の際「こんなお悩みありませんか」などの書き方において、相手に無神経にみえる表現をとること。
悩み=できないこと、ともいえる。万が一自分はわかる・できるのならば、その時点で相手とは差が生まれている。
できないことのコンプレックスを刺激したり、自分がわかる・できるからといって下に見たり、できないことを否定するようなことはコミュニケーションとしてやめておいた方がいいと思う。
わかる・できることはひとつのメリットやアドバンテージでしかない。わかる・できることが台無しになるくらい、コミュニケーションに難を感じられて避けられてしまう可能性もある。
もう1つは、自分が考えている中身が間違っている可能性を考えておくことだ。
わかっている、できていると思っているのは自分だけで、実はできていないパターンを考慮しておくことである。
わかる・できると豪語していても中身が伴っていないとしたらそれは恥ずかしいし、期待値調整の面からもトラブルになりかねない。
特に、理論だけ知っていて実践が少ない場合、細かい抜け漏れが発生して「実はわかってない・できてない」判定をされやすいので注意する。
わかる・できるのレベルをあげていくことも兼ねて、自分の知識を使ったり発信したりするなど、人の目に晒しておいて、客観視もあわせてしておくのが良い。
知識に対し、敬意と責任を持つ
どの分野でも、わかる・できるに終わりはないし、どこをもってわかる・できるとするかも曖昧であろう。
最後は、わかる・できることに、自分が責任を持てるかどうかではないかとすら思う。期待値やゴールを握るなどの必要はあるものの、それを全うするという気持ちと、その責任感を相手にぶつけ、訴えていくことが大事そうだ。
反対に、自分がわからない・できないことに対しては、こういう「わかる・できる」訴求を受け入れ、活用させていただく立場でもある。
分野問わず知識というものに対してフラットな価値観を持ち、世の中に数多ある専門分野に対して、斜めに見ないで貴重な知識を素直に受け入れる態度を取れるようにしたい。
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