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夜明けの音と、空想のこと。

在宅での仕事となり、一日のほとんどの時間家で過ごすようになってから、外の音によく気づくようになった気がする。

通りすがる人の声、車の音、工事の音。

もうこの家に住んで随分経つのに、電車のガタンゴトンという音がするのに、今更気づいた。

家が中心の生活になってから、眠りにつくのも少し遅くなった。翌日がお休みの時なんかは眠たくなるまで好きなことをしている。

夜中というより夜明けが近くなった頃に寝ると、いつもは何かと騒がしい外もすっかり静かだ。

布団に入り、目を瞑ると、外のわずかな音がよく聞こえる。最近は暑くなって窓を少し開けているせいかもしれない。

遠くとおく、ほんのわずかに、原付バイクを走らせる音がする。

ブロロロロロ…ガチャン、ガタン。

最後の「ガタン」はポストに何かを入れる音。そうだ、きっと新聞配達の人。その遠くから聞こえる原付を走らせる音が妙に物悲しく、寂しく感じた。

早朝、働いている人がいる。働いている人の生活が始まる。そんな中、私の一日が終わる。また目覚めるころに、ようやく私の生活が始まる。当たり前だけど、なんだか不思議だった。

一つの音、見える景色、におい、五感からぶわぶわと色んなことを思い出すのは私の妙なクセだ。

一人暮らしの頃、終電近くまで働き、明日も朝がうんと早いことがあり、今からぐっすりベッドで寝たら起きれなくなるのではと電気をつけっぱなしにして、壁に寄りかかりながら座って眠った。少しもリラックスするまいと、部屋着にも着替えなかった。

そんな中途半端に眠っては疲れもとれず、シャワーを浴びて無理矢理脳を起こす。眠い目をこすりながら、まだ外は暗いままだけれど仕事に向かう。その時間は妙に物悲しかった。

そんなことを思い出すのはふわふわ不思議な気持ちになるが、悲しさでつらくなることはなかった。

もうすっかりあの頃の悲しさは癒えたし、もう戻ることはない”いつか”の時間になったから。

がんばったね、とあの頃の自分を撫でてあげるような気持ちでねむる。今はすっかり笑えているよ。

夜明けの音と空想が交わる、まどろみの時間。

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