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戦没学徒の声を聞きに [わだつみのこえ記念館]

2023年5月26日 カロク採訪記 舟之川聖子

5月初旬のある日、これまでにカロクリサイクルの活動に参加した人たちに宛てて、NOOKの中村さんから、「フィールドワークをするのでぜひご参加ください」というご案内が送られてきました。
わたしは2023年2月の展覧会「カロクリサイクル 語らいの記録2011ー2022」での「10年目の手記を読む」というワークショップに参加し、その後、お声がけいただいて、3月の展覧会「カロクリサイクル 記憶から表現をつくる」に出展した関係で、このメールを受け取りました。

わたしの参加動機

わたしはここ数年、日本の近現代史や、自分に関係する土地の地域史に関心があり、個人的にリサーチを行っています。ミュージアムの見学もいつもは一人で行っているのですが、今回は他の人と気づきを分かち合えることを期待して参加しました。また、普段から災禍に関連した施設も訪ねているとはいえ、やはりそれなりに重さのあるテーマがなので、誰かと一緒に見ることで、少し心の負荷を軽くしてもらえるのではという思惑もありました。

わだつみのこえ記念館の存在は今回初めて知りました。「きけ、わだつみのこえ」というフレーズは聞いたことがありましたが、うっすらと太平洋戦争関連の何かということだけで、具体的に何を示すのかも知りませんでした。とりあえず行く前にウェブサイトをチェックして、戦地で亡くなった学生たちの写真と手記が展示されている場所であることと、東京大学近くにあるけれども、学徒の出身校は東大だけではないということは確認しました。

わだつみのこえ記念館に向かう

当日は午前中に江東区にある東京大空襲・戦災資料センターを見学した後、半蔵門線住吉駅から地下鉄に乗り、大手町駅で乗り換え、丸の内線本郷三丁目駅で下車。東京大学赤門の向かいにある、わだつみのこえ記念館に向かいました。参加者はNOOKの中村さん、瀬尾さんに加えて、私を含めた計7名です。

敷地に足を踏み入れると、いきなりぎゅうぎゅうに自転車が停められた駐輪場の中に仏像が立っているのが見えて、一瞬ぎょっとします。(なんとなく、これいいのかな? という感じがする)

わりと立派な仏像が高い台の上に設置されている。奥にももう一体ある。

記念館は赤門アビタシオンという10階建てのマンションの1階にあります。あとで調べたら、1966年完成、築57年だそうです。いわゆるヴィンテージマンションでしょうか。事業主が喜福寺となっていて、だから駐輪場に仏像があったのかとわかりました。(それにしても?)そういえばマンションの隣にお寺もありました。

記念館がありそうに見えない玄関口。

2階の展示スペースを見学

マンションの入ってすぐのところに記念館の入口があります。中は記念館用に改装されていて、事務所と書庫のある1階と、展示室のある2階とに分かれています。階段で2階へ上がると、壁には戦没学徒の遺影や、年表、解説パネルなどが並び、ガラスの展示ケースの中に戦没学生の遺稿や遺品などの展示物が収められています。
小さな空間ですが、圧迫感や暗さはなく、むしろ障子を通して差してくる自然光と、室内の明るく柔らかな照明に落ち着きを感じます。

読むのがメインの見学。静かな時間が流れる。

ノートや手帳に綴られた日記や散文、戦地から家族へ宛てた手紙は、多くが実物の直筆で、見学者が読みやすいよう、横に書き起こしが添えてあります。詩、スケッチなどもあります。ぜんぶでだいたい20人ぐらいでしょうか。
中には、在日朝鮮人や台湾人など、日本が植民地としていた地域出身の方のものもありました。彼らは表向きは志願ということになっていましたが、半ば強制の状況だったそうです。

内容は人それぞれですが、「憎まないでいいものを憎みたくない」「正直な所、単なる民衆煽動の為の空念仏としか響かない」など、軍事体制を明確に批判したものもあり、どきりとします。在学中に書いた私的なものなので問題はなかったのでしょうが、それでも人に見られたら、おおごとだったかもしれません。別の人の手記には、同じ下宿の人が検挙されたというような記述もありました。
戦地からの手紙には、内地からの物資の送付に感謝する内容や、今いる街には食糧が豊富であるなどの内容もあります。そういう戦争の一面もあったのか、あるいは家族を心配させないためか、あるいは検閲があるのでそう書くしかなかったのか。あらかじめ遺書を妻宛に送っていた人もいました。(それを受け取った妻の人はどのように感じたのかなど、遺族の心情も想像……)
「現在は人間の価値が根本から揺るがされている時代である」という言葉には、「今もなんですよ!」とその人に話しかけたくなりました。

戦没学徒の一人、石下英夫さんにまつわる展示。享年24歳。

他の参加者と言葉を交わしながら

途中、他の参加者と、こちらにはこんなことが書いてあるとか、この人はどんな心境でこれを書いたのだろうと話し合いました。写真、筆跡、紙面の使い方、言葉遣い、文面から、その人が存在していたことを想像できましたが、気づきを交わすことでさらに、「〇〇さんという人がいた」「ここにいる」という感覚になりました。
この場所にいると、残された手がかりを元に、なんとか知ろうという気持ちが湧いてきますし、複数の「肉声」がこの場にあることで、当時の状況が立ち上がってくるように感じられます。

彼らはそのときどきの時代や状況の中で、英雄だったり、受難者だったり、罪人だったり、いろいろに置かれる立場だったのだろうと思います。それらにも想像をめぐらしつつ、今目の前の展示からはまず、彼らが確かに一人ひとりの人間だったということを受け取りたいと思いました。その上で、この人たちを襲った凄惨な現実と、この人たちがしなくてはならなかった残虐な行為も知らなくてはならないし、そうさせたものの実体と本質とを考えていかなくてはならないと思いました。
ここに存在している「物」自体は変わらない(劣化という変化はあるけれども)。これらが何なのかということは、見る側にかかっているのだろうと思います。

1943年 学徒出陣

案内してくださった記念館の方から、戦没学徒について語るには、1943年10月の「学徒出陣」を抑えておく必要があるというお話がありました。戦況が厳しくなる中、それまで徴兵が猶予されていた大学や高等専門学校に在学していた学生たちも召集されるようになり、現場で戦闘を指揮する下級士官や航空機のパイロットに命じられます。つまり、彼らは最初からエリートとして配属され、予科練(海軍飛行予科練習生の略称。旧日本海軍における航空機搭乗員の養成制度)出身者などとは待遇面で差をつけられていたそうです。そもそも当時、大学や高等専門学校に進学していた時点で、世の中から見ればほんの一握り。その複雑な立場に唸るしかない一同……。

学徒出陣を報じる当時の新聞記事。
スタンドを埋めるのは動員された女子学生。「あッ兄さんもゐる」の見出しも。

当時の大学教育に軍国主義がどのぐらい入り込んでいたのかわかりませんが、ここまで批判的に思考し、言葉で表現する人たちが、召集されて現場で現実を見たときに、何を考えたのでしょう。もうその状況に置かれてしまったら、今自分がここにいてそれをする意味をなんとか見出すか、あるいは感情や思考を止めてただ遂行するか……。生還しないことが前提で送り出された彼らはどのように日々を過ごしていたのか、彼らが本来望めた生とはどのようなものか…️…。
ふと、最近読んだ山本七平の『ある異常体験者の偏見』を思い出し、彼らの中にも、生きて帰ってきたら、山本のような洞察力と筆力をもって、戦場での経験を綴った人がいたかもしれないと思いました。

2023年は学徒出陣から80年。個人的にはどんなことにも年数に強い意味づけをするのは好きではありません。ただ、なにかに取り組もうと決意するときには、節目とはありがたいものだとも思います。

わだつみのこえとは

「わだつみのこえ」の由来になった歌。

わだつみのこえ記念館の開館は2006年。戦没学生の遺稿や遺品の展示することで、彼らへの追悼を平和をつくる営みにつなげていくことを目指しています。
記念館の名称は、1949年に発刊された『きけ、わだつみのこえ-日本戦没学生の手記-』(東京大学消費生活共同組合出版部/のちの東京大学出版会)から取られています。
「わだつみ」とは、古語に由来する「海」を表す言葉で、「きけ、わだつみのこえ」は、戦死した人々の嘆きと怒りと声なき声を聴こうという呼びかけなのだそうです。(詳しくは記念館で配布されている解説シート「『きけ わだつみのこえ』とはどういう意味か」をご覧ください)

1948年刊行当時のポスター。話題になったことがうかがえる。


映画『きけ わだつみのこえ』が視聴できます。

個人的な後日談

後日、1947年と1948年生まれの両親に、『きけ、わだつみのこえ』の本か映画のことで何か知っているかと聞いてみました。父は知っていました。
「あれやろ、太平洋戦争末期になって、兵隊が足らんから、それまで免除になってた学生やらが召集されて、先生も行かなあかんようになって……明治神宮外苑で学生の壮行会みたいなんやって、雨ん中で足元はぐちゃぐちゃで……東條英機が挨拶して……そんで有名な人もおったんやろ、上原なんとかいうのが(上原良司のこと)……特攻に行った人も多かったって。その人らの手記を東大の先生がまとめて本にしはって……なんかそういうのやろ」と、意外とするすると答えてくれました。

学徒出陣のことは昔のニュース映像をテレビで何度も見たことがあるそうです。それは父の世代の人にとっては当たり前の知識なのかと聞いてみましたが、「いや、知らん。誰かとそういう話をした記憶はあまりない、学校で習ったかどうかもわからない、わしは仕事で必要やったからいろいろ調べてただけで……」とのことでした。
さらに、戦争から帰ってきた先生が、戦地での手柄話を延々とするので辟易したという小学生の頃の話や、出張のついでに鹿児島の知覧特攻平和会館を見学したときの話もしてくれました。思いがけず父と戦争の話ができたのはよかったです。

またこのフィールドワークに参加したいです。参加できなかった回も個人的に訪ねてみようと思います。カロクリサイクルのみなさん、貴重な機会をありがとうございました。

(舟之川聖子)

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わだつみのこえ記念館
なんと入館料無料。寄付のみで運営されているそう。ほんの気持ちばかりですが、寄付箱に投入させていただきました。この貴重なアーカイブの場所が維持されていくことを願います。


日本戦没学生記念会(わだつみ会)
記念館の運営母体。1993年から寄付を募り、13年かかって開館したそうです。


学徒出陣とは(NHKアーカイブス)


(執筆者プロフィール) 

舟之川聖子 Seiko Funanokawa
鑑賞対話ファシリテーター。共有したい・伝えたい・残したいものがある人と共に、集う一人ひとりが味わい、学ぶ場をデザインします。
https://linktr.ee/seikofunanok


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