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都市の暮らしを守る(さて、どうやって?)

2022年7月24日 カロク採訪記 瀬尾夏美

頼りない堤防

中学生の頃から南北線ユーザーだけど志茂駅で降りるのは初めて。
地上に出た瞬間、日差しが刺さるように痛いし、延々とまっすぐな北本通りも不愛想な印象でついよろける。
とはいえ、実家にいた頃に使っていた隣の王子神谷駅も北本通り沿いで、印象が似ているので親近感はある。
どちらの駅も近くにはコンビニと数件の飲食店が見えるのみで、駅前という空間がない。
日々、自宅から都心へと直通でもくもくと行き来し、たんたんと働いて帰宅する人びとの姿が浮かぶ。
わたしの地元の足立区もそうだけれど、ここは本当に東京なの?!と驚かれるようなとても地味な住宅街が、東京の東側、上野駅から30分圏内にもたくさんある。
もとは田畑が広がるのんびりとした農村で、戦後の流れのなかで徐々に住宅が増えていき、その変化に伴ってこうして地下鉄が延びてきた。下町地域とは異なって、いわゆる郊外の風景と言える。
わたしにとってはこれが東京の姿であり、懐かしいふるさとでもある(と、最近になって言えるようになってきた)。

遅刻したわたしをコンビニで待っていてくれた磯崎さんと合流し、例によってとても暑いなか、静かな住宅街をとぼとぼ歩くこと15分。

住宅の隙間から、荒川沿いに直立するコンクリートの堤防が見えてくる。
川と家並みがこんなにも近い。
わたしの実家付近もそうだし、東京によくある風景ではあるけれど、この頃のニュースを見ていると、水害のリスクが気になってしまう。
頼りなさそうに見える堤防の切れ間から延びた橋を渡ると、「荒川知水資料館(アモア)」がある。

「荒川知水資料館(アモア)」へようこそ

そう大きくはないコンパクトな建物の入り口に、丸っこい石碑と船堀閘門頭頂部というものがある。
石碑は、荒川放水路と旧岩淵水門の完成を記念し、青山士(あおやま・あきら)を含む工事関係者らで建てた記念碑だそう。
碑文には「此ノ工事ノ完成ニアタリ多大ナル犠牲ト労役トヲ払ヒタル我等ノ仲間ヲ記憶センカ為ニ」とある。
命がけの現場、理不尽な労働があったのだろうということと、同時に、それが忘れられてしまわないようにせめて石に刻みこもうとしたその想いを想像する。
 

キャプションでは、自らの名を刻まなかった青山氏の謙虚さを称える一文も。すでにアツい。

入り口の掲示板に荒川の防災施設を船で巡るツアーの案内を見つけ、それが前日だったことを知り大変ショックを受ける。来年こそは…!

なんて魅力的な企画なんだ、、、!

建物に入ると、思いのほか(失礼)充実した展示施設であることに気づく。
壁際にはたくさんの水槽が並んでいて荒川の水辺の生き物たちが出迎えてくれるし、受付のおばちゃんも積極的に話しかけてくれる。
これはいい施設なのでは…!?と期待が高まる。
ここ半年、あちこちの資料館や展示施設を回って感じるのは、たとえ展示の箱自体がしっかりしていても、その場所に熱意や知識を持った人がいなければ、その場所はおもしろくならないということ。
こうしてボランティアさんが主体的に動けるのは、その場を取り囲むコミュニティが充実していて、運営の仕組みなんかもうまく機能しているからだと思う。
東北沿岸部のあちこちに出来た災害伝承施設にも、その場所に根付いて動く人びとが現れてくれますように。
そして末長くその土地で生かされますように、と願いつつ……
 

東京の台風19号 守られた暮らし

どんなことに関心があるのですか?と尋ねてくれるおばちゃんに、水害が怖いので治水に関心があります、と答える。
おばちゃんは、あらあ、という感じで頷いて、この辺も水害は無縁じゃないですからねえと話し始めた。
2019年の台風19号のときはこのあたりも結構怖かったんですよ。
すぐそこの堤防のすれすれまで水かさが増したし、この辺一帯も浸水するんじゃないかって話だったんですけど。
間一髪のところでそこの岩淵水門を閉めたから無事だったんですって。
緊急時にそういうことを判断してくれる人たちって、すごいですよねえ。

荒川に架かる岩淵水門

おばちゃんの話を聞きながら、それはほんとうにすごいことだよなあと思いつつ、しかしそういう誰かの判断によって自分の暮らしが守られていることに意識的な人はどれだけ居るのだろう?と考える。
大雨に怯えても実際に被災しなければ、まあセーフだったね!と言った感じで次の日からはふつうに日常生活を再開し、水害のことなど忘れてしまう人がほとんどではないか(わたしだってそう)。
そういう人間のたくましさは魅力的ではあるけれど、それだけでいいんだろうか?とは思う。
 

宮城の台風19号 壊れてしまった暮らし

3年前の台風当日のことを思い出す。
わたしは当時暮らしていた仙台のアパートから、足立区の実家の様子をとても心配していた。マスコミも東京が水没すると大騒ぎだった。
夜になると東京の雨がひと段落し(いま思えばおばちゃんが言うように、水門の甲斐もあったのだろう)、大被害には至らなかったことが報じられた。
そこで東京に暮らす家族や友人とのやりとりは、お疲れさま、おやすみ〜!という感じで終わったのだけれど、しばらくすると東京を抜けた台風が北上し、仙台にはゴウゴウと風が吹きはじめ、見る間に駅前が水没した。
わたしはSNSで情報を集めつつ、窓の外をのぞいては、あれれ、これはけっこうすごいことになってないか?!と驚きながらも、まあ大丈夫だろうと思い込んでその日は眠った。


しかし、夜が明けてテレビを点けると、長野や福島、そして何度もお話を聞きに通った宮城県丸森町も水浸しになっていることを知る。
お世話になっている民話語りのおじいさんの家も土砂災害で壊れてしまって、おじいさんとご家族はヘリコプターで救出されたというじゃないか…!
わたしはそこでやっと起きたことの重大さに気づいて青ざめ、宮城や福島の友人知人に連絡を取り、どうしようどうしようと話し合うことになる。
その当時グサッと来たのは、東京の友人たちに宮城の被害について話してみても、大変だねえ、と言うくらいであんまり関心を示してもらえなかったこと。
あの夜、あなたたちも怖かったはずなのに、そんな感じ?!
仙台の友人たちとの会話はもちろん台風の話で持ちきりだったのもあり、そのギャップにショックを受けてしまったのを覚えている。

台風19号で被災した丸森町五福谷地区

同じ台風に遭っても地方のまちは被災し、東京の都心部は無事。
そのコントラストが問いかけるものは一体どんなことなんだろう。
そこに、構造的な格差があるのではないか。
これは、東京で生まれ育って東北に10年以上暮らしていたわたしにとって、避けられない大事な問いだと感じている。

地方と都市。
経済的評価の優劣によって生じる災害リスクの差。
関心と無関心。
災害は社会課題を明るみに出す。
気づいてしまった問いには向き合わなきゃならないと思う。何ができるか。
 

川上の暮らしと川下の暮らし

さて。場面はアモアに戻る。
これが荒川流域の地図なんだけどね、と言って、おばちゃんは足元(というか床全体)に広がる巨大な地図を指し示す。その指先に促されて川下から川上(東京を出て埼玉に至る)を見ると、農村地帯につづいていた。
最近の水害被害や気候変動の状況を受けて、上流に調整池をつくっているんですよ。
おばちゃんはそう言って、これも大工事よねえ、とつぶやく。
 

たしかに荒川沿いの一角がぐるりと囲まれて、荒川第二調整池、第三調整池という文字が配置されている。
川下の暮らしを守るために川上の人たちの暮らしが変わるのか。
都心の人びとを守るために過疎地の人びとが土地を譲るのか。
もちろんさまざまな計算と調整が行われての計画執行なのだろうけど、より経済的価値が高い土地が優先され、その他の場所が我慢を強いられるこの構図、思い当たりすぎるし、それがこんなに身近な場所同士でも起きていることなのかと驚く。

壁面には簡略地図と空撮の映像が展示されていた


実際に、この工事で土地を譲る人びとがどんな考え方を持ち、どんな条件で交渉が済んだのかはわからないけれど、せめてこの工事で災害リスクを軽減してもらうことになる都心部の人は、こうした川上の状況を知っておくべきなんじゃないか。
だって、もし自分が土地を譲ってふるさとの風景とコミュニティを失い、仕事を変え、転居してまで川下の人びとの暮らしを守ったのに、とうの川下の人びとが無関心だなんで悔しいじゃないか。

そうです。
何を隠そうわたし自身がまさに川下の住人で、川上で起きていることを知らなかった。
わたしはわたしの無知さに腹が立った。
そして、構造的な理不尽による利益を享受している、そのうえで生活が成り立っている、という事実が身にしみた。
この巨大な構造から抜け出すことは容易ではないけれど、でもせめて、だからこそ、自分の暮らしがどのように成り立っているのか知りたいと思う。
 おばちゃん、大事なことを教えてくれてありがとうございました!

*台風19号時の荒川流域の被災と荒川治水工事の計画をまとめた資料はこちら

なぜわたしたちは安全に暮らせているのか

「荒川放水路の経済効果」と赤字で書いている
荒川放水路工事の再現ミニチュア

さて、すでに長々書いてしまいましたが、二階の展示では荒川の歴史流域の暮らし、治水工事の変遷などについて学ぶことができます。
荒川下流河川事務所のウェブサイトにとても詳しく書いてあるのでぜひ見て!
 
*そもそも荒川は人工の放水路だよ!
https://www.ktr.mlit.go.jp/arage/arage00026.html
 
*荒川をつくるための大工事はこうして行われた…!
https://www.ktr.mlit.go.jp/arage/arage00031.html
 
*荒川放水路変遷史パンフレット、めちゃくちゃよくまとまっているのでどうぞ!
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000704042.pdf
 


 *合わせて見学するのにおすすめなのは本郷の東京都水道歴史館です!https://www.suidorekishi.jp/

水道歴史博物館の裏手にはすてきな公園あり


ぼくの家が沈んでる!

上映室では、過去の水害の資料や水害想定時のシミュレーション映像などが見られる。

ご両親と一緒に来た小さな男の子が、あ!この道路はぼくの家のすぐ近くだよ!二階まで沈んでる!と言ってスクリーンを指差して教えてくれた。
わたしが思わず、ありゃ〜…と相槌を打つと、ご両親は苦笑していた。
 
実際、誰かの暮らしている家や地域の災害リスクが高いことに気づいても、危ないですよ、なんて気軽には言いにくかったりする(とくに相手に自覚がない場合は悲しませたり怒らせたりしてしまいそうだ)よなあと思う。
だって、自分が被災するイメージを持ちながら生活するなんてすごく苦しいし、面倒なことだ。
さらに、自分が安全に暮らしているその背景に、土地を移動させられる人びとや、災害リスクが高まっている土地が存在することを意識し続けるのはなかなか大変なことかもしれない(意識してほしいし、していたいけれど。そのための情報を得たり話し合ったりするにも、学ぶ時間や気力もいる)。
なんといっても、みんなふつうの日常生活を送るだけでもとても忙しいし、気遣わなければならないことも多いのだ(日々、本当にお疲れさまです)。
 
そこへ来て、アーティストというのは、ふつうの日常からすこしだけ逸脱するのが得意(へっちゃらというか鈍感)な気もするから、みんなが忙しくてなかなかやれないことをやってみたっていい。
「カロクリサイクル」のリサーチやこれからつくっていくプロジェクトのなかで、たとえば都市/地方間のコミュニケーションや、日常と災害を地続きにするイメージづくりなど、実践的にいろいろ試していけたらいいなと思う(しかもできるだけ楽しくね!)。

余談:アモアから徒歩15分でJR赤羽駅に出られるのですが、飲み屋街が最高で昼間から飲めます。疲れたらビールをどうぞ!

いい飲み屋がたくさんあるのにそんなに混んでなくて穴場な赤羽

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