【第1回カロク・リーディング・クラブ】@ 岡山会場 を振り返って
この記事では、2022年11月19日に開催された「第1回カロク・リーディング・クラブ」の岡山会場(ラウンジ・カド)の様子をレポートします。
*東京会場のレポートはこちらから↓
https://note.com/nook_tohoku/n/n4ef68c370d48
*カロク・リーディング・クラブとは?
開催概要はこちらから↓
https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/events/54999/
第1回カロク・リーディング・クラブ@岡山ラウンジ・カド 2022年11月19日
過去の災禍の記録や、それに関わる表現(映画、絵画、戯曲、手記、小説など)をみんなで囲み、それぞれが考えた・感じたことをあれこれ話してみる対話の場、「カロク・リーディング・クラブ」。第1回は東京と岡山の二つの地域をオンラインで繋いで同時開催されました。
岡山の会場は「奉還町4丁目 ラウンジ・カド」(https://www.lounge-kado.jp/)。JR岡山駅西口から続く、奉還町商店街をまっすぐに進んだ先にある小さなラウンジです。ラウンジ・カド前の道は、買い物する人、犬のお散歩をする人、通勤・通学の人、旅行客…などいろんな人々が行き交いますが、みんな歩く速度がどこかゆっくりです。そんなのどかな雰囲気がお店の中にも漂っている素敵な場所で「カロク・リーディング・クラブ」が開催されました。参加してくださった方は9名、ラウンジ・カドで顔馴染みの方もいらっしゃり、始まりからアットホームな場でした。
映像作品『波のした、土のうえ』を観る・読む
最初に2会場をZOOMで繋いでご挨拶、その後はオフラインに切り替えて、それぞれの会場ごとに進行していきました。まずは映像作品『波のした、土のうえ』(2014年制作/小森はるか+瀬尾夏美)の第1部『置き忘れた声を聞きに行く』を鑑賞。この作品は東日本大震災で津波被害を大きく受けた岩手県陸前高田市で、復興工事が進む最中に小森+瀬尾と住民の方達との協働でつくられました。
この映像作品の中で物語を進めていくのはナレーション(=声)、映像に写っているご本人の声です。作者の瀬尾がその方と一緒にまちを歩きながら聞いた思い出話、または陸前高田の人々から聞いた話などを、一人称語りのテキストに綴り、それをご本人が朗読するというプロセスから生まれた声です。その声を軸に映像が重ね合わせられています。まちの人々の思い出の場所は、津波によって流された場所であり、これから復興工事によって土の下に埋もれていってしまう場所でもあることが語られていきます。
今回は映像を観た後に、作品で使われていたテキストを配布し、参加者自身が声に出して読んでみる、ということをしました。4〜5人の2グループに分かれて輪読していきます。映像を「観る」だけではなく、文字で読む、声に出す、人の声で聞くという体験を通して触れてもらいました。輪読の時間、不思議と一人ひとりの声量が揃うことなく、読む人によって想像するものが変わっていく、その差異が発声の仕方に表れているようでした。想うことは違っていても物語が一つに繋がっていく、小さな声の輪が静かに響いていました。
てつがくカフェ「波のした、土のうえ」から考える
続いて、「てつがくカフェ」という形式で対話を行いました。ファシリテーターは岡山チームの成田海波さん(ラウンジ・カド)、スミカオリさん(ヨノナカ実習室)、ファシリテーショングラフィックは瀬尾夏美(NOOK)が務めました。「てつがくカフェ」にはさまざまな進行方法がありますが、NOOKメンバーが陸前高田や仙台で実践してきた「思ったことを自由に話す」→「キーワードを探す」→「問いの形にする」という流れで進めていきます。映像作品を観た感想から始め、以下のような気づきが2時間の間に交わされていきました。
阿部さんの記憶から想像する
・阿部裕美さん(登場人物)の記憶の鮮明さに驚いた
・弁当配達の仕事から記憶している"まち"の範囲が見えてくる
・足が記憶していることがある(歩幅、段差、傾斜)、またそれを失う痛み
・「トタンに傘をあてながら歩く」、「カンカンカンという音」
音、感触、振動の記憶が持つ鮮明さがある
・子供の頃の記憶が多く語られている
悪さをして大人に怒られた小学校低学年の記憶は、自分にもよく分かる
・「玄関入って奥に茶の間があって…」
家の中の記憶を語るとき、阿部さんの声のギアが変わった
聞きながら自分の家はどうだったか目をつむった
・「最近父にまつわる人が私の周りに現れるの…」
実際のひと?幽霊?どちらにしてもどこか霊的な存在。怖そうではない
かさ上げ工事って?/"土のうえ"
・津波で土の上にあったものが流され、更にその上に、土を盛って人為的にまちが造られていくという事実に驚く、えらいことが起きてる
・自分の土地の上に土がある=ざわざわする、「自分の土」を見失う
・地面がすっぽり埋もれてしまう=「ここ」という実感が薄まる
・住んでいた場所を見上げないといけない、という感覚を想像する
土地を奪われる経験が重なる
・田んぼが埋立てられる、ダム建設で村が沈む、都市開発での整備…などの出来事と似ている?岡山でも身近にあること
・広島の原爆投下後、川の上のバラックで暮らしていた場所が工事でなくなった。「あの書類に印鑑を押すのはこういうことだったんだ…」にグサっとくる。当時の大人たちの気持ちがわかる
・"みんなのため"だと「印鑑」を押すことに抵抗できなくなる?
・わしの土地/ひとの土地
ここが「わしの土地じゃ!」という人もいた?「わしの土地」って何?
・さみしさの行方
安心して暮らしたいけれどさみしい、けれどさみしさをどこにもぶつけようがない
身近な人との突然の別れ
・震災ではないが、突然に人を亡くした経験を思い出した
・「地震のあとわたしが助けに行けば…」、「死んじゃったひとはずるいよね…」
残された人たち側の叶わなかった約束や後悔の気持ちがある
・突然の別れはちゃんと悲しめない(遺体が戻らない、顔を見ていない)
・実感が湧かないのは別れのプロセスを踏めていないから
(弱っていく姿を見る、別れを告げる、弔うなど)
・自分が見捨てられた気持ちになる(なんかもっとあるだろう…!)
・故人の最後に着ていた服を陽に干す場面で自身の別れの経験が重なった(服を取っておけばよかった)
・言葉は悲しい記憶を語りながらも、映像の情景はぽかぽかしていたのが印象深かった(太陽、青空)
他者の記憶と自身の記憶
・同じではないが似た体験を思い出した時「わかる」って言っていいのか?
・東日本大震災の体験と何が違うのか?
震災当時、遠い地域にいたから何もできていない負い目がある、気後れしてしまう
・他者(阿部さん)の言葉を自分が朗読して良いのか戸惑った
映像でご本人の顔を見てからだったから。言葉を横取りしてないか?
・この映像とどうコミュニケーションを取ったらいいか?
映像を観ても、出てくるのは自分の記憶しかない
言葉を発するきっかけが、自分の記憶でしかないことの後ろめたさ
・共通言語を持ちたい=どういう言葉で話し合えるのか?
被災地出身の大学の同級生に対して直接震災のことを聞けなかった。当時千葉県にいた自分にとっても震災は怖かった。それより辛い経験をした人とどうやったら一緒に話せるのか?悩んでいた
悲しみは比べられない
・辛い経験は誰しもあるが、一緒にしていいのか?=この葛藤が大事
・自分の辛さも大事にしたい
地震で揺れなかった山口県にいた私もすごく怖かった
・語りを受け止めるための場所、経験した人の荷を下ろす場所が必要
・人が悲しんでいると、私も悲しい
・一緒に悲しんでくれる人、話を聞いてくれる人がいると救われる
・友達なら関われるけれど、遠い土地の人、会うことのない人の悲しみに対して何ができるのか?(ウクライナの戦争、募金をするのも違う…)
・悲しくなるのは自然な感情である
・「2011年3月11日14時46分に何をしていましたか?」という問いかけをしたことがある。それぞれの経験が聞き合えた。自身の故郷が広島、「1945年8月6日8時15分」も当時生きていた人たちに問いかけてみたい
震災との距離/東日本と西日本
・良くも悪くも東と西では「震災」の距離感が違う
・共感できない苦しみは悪いことではない⇄共感してしまう苦しみもある
・当時10歳だった、3.11時の記憶は何もない。同じ時間を共有していない
・青森県出身である、青森も「東北がんばれ!」に突然くくられた
・「東北」「日本人」「ウクライナ」=主語が大きくなってしまう
・雑にくくられてしまうのを避けたい
・映像の中で「One for All, All for One」という看板の言葉が気になった
・体験している規模でも違う?熊本地震、新潟地震、阪神淡路大震災は?
規模感によって薄れていってしまう?
・西日本豪雨で被害を受けた岡山県真備市、半壊・全壊・家族を失うなど被害の違いで比べてしまう(当事者からしたら半壊でも悲しい)
逃れられない当事者性
・震災が起きたときに生まれた世代、阪神大震災の時に「希望(のぞみ)」という名前が多かった。体験していないのに背負っている
・経験していないから関係ない、は違う(ex.戦争責任)
・自分たちがやったわけではないけれど、前の世代と繋がっているから知っておかなければならない
・知らないうちにバトンを受け取っている。そういうものは大きな主語でやってくる
・社会に生きる上で逃れられない当事者性、逃れられない加害性がある
主語を"小さく"していく
・祖父が戦地から生きて帰ってきて「よかった」、ではない話聞けなかった
帰ってきた人の語らなさ、よかったねじゃない部分、個人の話がある
・主語を"小さく"していくために何ができるか?
「私=おじいさん」という語りの記録を読む、聞く、友達になる
・かさ上げ工事のことを今日はじめて知った。ニュースで見ていたら何も思わなかったかもしれない。映像作品が個人の語りだから感じたことがある
・託された語りをどうしたらよいのか?
個人ひとりひとりの語り/国家・地域などの語り(歴史)
キーワードをあげてみる
・共通言語=どういう言葉で話し合えるのか?
・体験している人⇄体験していない人
・伝わらないことの大切さ
・歩幅の記憶
・雑にくくらない、くくられたくない
・考え続ける/のりしろ/余白(個別の話をちゃんと聞くために)
・はれものにしてしまわない
・葛藤
・主語の大きさ(個人/国・地域・階級)
・重なってしまうこと、響き合ってしまうこと
・当事者⇄非当事者を分けすぎない
・境界線の曖昧さ
・感情が追いつかない
・決定(意志決定のプロセス)
・一人ひとりの思い⇄国や行政の決定
キーワードをあげていく中で、
一人ひとりの思いも大事だけど、じゃあ嵩上げ工事決めたのは誰なのか?
国の大きな決定や実際に工事が行われてしまう現実と個人の思いに、どう整理をつけたらいいのか考えているという意見がありました。
意志決定のプロセスがどうたったのか、個人と国・行政との間で話し合いはちゃんとされたのか?公と個人を考えることについての問題を共有したところで終わりました。
問いとしては「どういう言葉で話し合えるのか?」を選びました。
(板書のアップの写真は記事の一番最後に!)
東京会場と再会!
あっという間に3時間ほどが経ち、東京と岡山を再びZOOMで繋ぎます。それぞれの板書を見ながらどのような対話がなされたのか、報告し合いました。具体的なエピソードや言葉遣いの違いはありますが、大きな話の流れや問いの立て方は共通する部分が多かったです。また東京では映像やテキストを「作品」として捉えているのに対し、岡山では描かれている「個人」に着目していた差異なども見えてきました。最後に、お互いの報告を聞いて気になった点を質問し合いました。
岡山から東京への質問
Q:東京ではテキストのことを「詩」と表していたのが気になった
参加者(東京):瀬尾さんのテキストを読んで「詩」や「うた」(散文的な)だなという受け取り方を個人的にしていた
瀬尾(岡山):書く時に、方言ではなく標準語に、また抽象的な言葉に置き換えていることと「詩」と捉えることは繋がっていそう
東京から岡山への質問
Q:東京は地震の揺れを経験しているのに風化が早いと感じている。岡山では震災との距離はどのような感じか?
参加者(岡山):地震で揺れてはないが、揺れなかったからこそ、自分たちが経験したことに引き寄せて想像しようとしている(阪神淡路大震災など)
成田(岡山):岡山は震災後に避難して移住した方が多かった。コミュニティが広がったり、変化があった。すごく遠い経験ではないのかもしれない
東京から岡山への質問
Q.今日参加してみて、東日本・西日本との違いは感じられたか?
成田(岡山):地域性の違いというよりは、「隔たり」など違う表現・言葉遣いをしているのが見えた
瀬尾(岡山):東京では「物語」という言葉が出てきたり、岡山では「阿部さん」という名前で呼んでいたり
参加者(岡山):東と西ですごく違うとは感じなかった。「個と公」の話は共通している。震災当時は差があったかもしれないが、いま岡山でも忘れてしまう危機感があることは同じ。これからどうするのか次第
瀬尾(岡山):忘れていくことや、記憶を継承する話があまり岡山では出なかった。むしろ同じコミュニティの中で経験のばらつきがある時にどう共有するか?今の生活実感の中での話が中心だった
成田(岡山):継承について、いつも話題になるのになぜか今日は出なかった
物語とノンフィクション/方言と標準語
八木(東京):東京では「物語」だからこそ受け取れることを最初話していたが、最終的には「物語という劇薬をどう扱うか?」と真逆の問いに結びついていった意外性もあった
瀬尾(岡山):岡山では「主語が大きくなる」という問題が話されたが、「個と公」に言い換えると「物語という劇薬」への問いに繋がりそう
スミ(岡山):岡山の人たちは今回の映像作品を「ノンフィクション」として観ていた。阿部さんの実体験を瀬尾の書いた標準語で受け取っている(岡山は岡山弁と標準語のミックス)。方言ではないからリアル。被災者という言葉も一回も出てこなかった。
中村(東京):方言と標準語の話は東京では一切出てこなかった。自然と受け取っていた
参加者(岡山):外国語字幕や日本語字幕をつけてみたら東京と岡山の環境が揃うかもしれない
東京から岡山への質問
Q:普段から人の話を聞くときに「物語」っぽく受け取ってしまう。東京はローカルがない、無個性、東京の人と言わない。岡山の人はアットホームというか、自分ごととして受け取る地域性があるから「物語」ではなかったのか?
参加者(岡山):地域性というよりは「映画」として受け取ったかどうか?観る場所が映画館じゃない、ドキュメンタリーを見慣れているかどうかも関係あるかもしれない
瀬尾(岡山):私自身は東京出身。陸前高田にいると人々のタイムラインが土地に埋め込まれている感覚。「コミュニティにいる」感覚がある地域と東京では違うかもしれない
参加者(岡山):「物語」というよりは映像をあびているという感覚だった。たしかに字幕があったら「物語」に思えたかもしれない
映像作品の第2部『まぶしさに目の慣れたころ』は方言で話される方が登場するので、「方言と標準語」や「物語とノンフィクション」の議論もまた一段と深まりそうです。
中間地点の名古屋か京都で第2回目の開催を..!というリアルでの再会を願って終了しました。4時間を超える長丁場、ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
岡山ではラウンジ・カドさんのカフェ営業が始まり、美味しいご飯やお酒を楽しみながら、話は夜更けるまで続きました。
※岡山会場のてつがくカフェ板書↓
レポート:小森はるか
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