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力を持たない人びとの戦争と災禍

カロク採訪記 2022年7月23日 磯崎未菜

”Obviously all the refugees are women and children."

2022年1月24日に、「ウクライナ情勢が緊迫するなか、米国防総省が、戦闘準備が完了している8500人規模の米軍部隊をいつでも派遣できる態勢を整えていると明らかにした」というニュースをBBCで観た。その時はじめて、いよいよ本当に戦争がはじまってしまうような事態なのかと思い知って背筋が凍った。夜、友達と電話で話したのを覚えている。それからちょうど一ヶ月後の2月24日。ロシアによるウクライナ全面侵攻がはじまって、半年以上が経った。爆撃で破壊された街や風景の写真や映像、傷ついた人びとの姿をリアルタイムで観ている。いわば世界全体が証人となりながらも、誰もがどうしようもなく、理不尽な暴力に対して、防衛のための暴力によって対応するしかないというこの現状を、毎日やるせない思いでただただ観ている。

3月、印象深い報道があった。「戦争を逃れて隣国へ移動したウクライナの女性や子供達が、売春斡旋業者の標的になっている」というニュース。また、「ポーランドで、戦争でウクライナから避難した19歳の難民に対し、避難所を提供しおびき寄せ、レイプした疑いで男性1人が拘束された」というニュースも。

記事の中で、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所。国際連合の難民問題に関する機関)のグローバル・コミュニケーション責任者であるジョン・ア・ゲディニ・ウィリアムズは、「明らかに、難民は女性と子供ばかりです。」と話している。

“Obviously all the refugees are women and children,” said Joung-ah Ghedini-Williams, the UNHCR’s head of global communications, who has visited borders in Romania, Poland and Moldova.
“You have to worry about any potential risks for trafficking — but also exploitation, and sexual exploitation and abuse. These are the kinds of situations that people like traffickers … look to take advantage of,” she said.

「明らかに、難民は女性と子供ばかりです。人身売買の潜在的なリスクだけでなく、搾取、性的搾取、虐待についても心配する必要があります。このような状況を、人身売買業者のような人々が利用しようとするのです。」

FRANCE 24 ニュースより

男性たちの多くが戦地へ向かうとき、女性や子供、障がいを持つ人、力を持たない人びとの居場所はどこにあるのだろうか。

アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)へ

ここからレポート。
この日は、18日に予定していて休館だったアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)へリベンジ訪問した。(休館情報を見逃し、がっくりきていた中村大地くんは予定が合わずお休み。)

早稲田駅で瀬尾さんと待ち合わせ。最高気温34度の真夏日。「かき氷食べたい…」「あとでぜったい食べようネ…🍧」というほとんど意味のない掛け合いを繰り返しながら汗だらだらで10分弱歩き、AVACOキリスト教会館に到着。教会周りにはたくさんのひとが集い寛いでいて、おにぎりなんかも食べたりいい雰囲気。アクティブ・ミュージアムは2階にある。

入り口の写真。床がカラフルで可愛い。

室内に入ると、受付の女性が明るく挨拶し出迎えてくれた。
おしゃれな家具とかわいい色の暖かそうな絨毯。穏やかで居心地の良い空間だなと思った。名前を書いて、展示の説明を受ける。室内は撮影が禁止。

慰安婦問題にまつわる展示をみる

1970年代から今日に至るまで、常に時事となり続けてきた慰安婦問題。先日観た映画『教育と愛国』でも、この問題をいかに教科書に記述するかが重大な論点だった。ここアクティブ・ミュージアムでは、日本、韓国、朝鮮民主主義人民共和国、フィリピン、台湾、インドネシア、オランダ、マレーシア、東ティモールなど、さまざまな国にいる被害者の方、また当時日本軍で性暴力に加担し、勇気を持って手を挙げた加害者側の詳細な証言を実名で取りまとめ、戦時下でなにが起こっていたのかを丁寧に紐解き展示している。

どのような場所で、どのような家に生まれたのか。家族や幼いころの暮らしについて。当時の夢について。そして戦争が始まって、どのような経緯で慰安婦にならざるを得なかったのか。戦争が終わったと知ったときはどんな気持ちだったのか。戦後、どのように生きてきたのか。館内には、当事者のものだけではなく、彼女たちを支え、身を寄せあい、ともにいようとした大勢のひとの、ひとりひとりの切なる声がぎゅうぎゅうに響いていた。そのたくさんの声をたどっていくだけで、あっという間に時間が過ぎていった。展示には至る所に休憩できる椅子が置かれていて、何時間でも集中して見ることができた。また、証言だけではなく、日本政府が調査し発表した370点を越える資料や、研究者や市民によって収集された写真などが細かく編集され、慰安所の実態がどのようなものだったのか、詳しく追うことができた。資料は英語と韓国語が併記されているものが多く、常駐スタッフの方も英語が堪能だった。その日いらしていた、中国語話者の方は、日本語記載しかないものにはiPhoneのカメラをかざし、アプリで翻訳しつつ、小声で対話を重ねながら、長い間展示を見ていらした。

(wamが編著の『日本軍「慰安婦」問題 すべての疑問に答えます。』という本が、慰安婦問題についてとても詳しく、わかりやすく解説しています。wamでも買うことができますが、amazonなどにもあったので気になる方はぜひ一度読んで見てください。 リンクを貼っておきます。
https://www.amazon.co.jp/dp/4772611436?SubscriptionId=AKIAIBX3OSRN6HXD25SQ&tag=godoshuppan-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4772611436 )

タブー視される慰安婦問題と日本政府の対応

さて、慰安婦問題は、なぜこれほどまでにタブー視されているのだろうか。

1993年8月4日、当時の官房長官河野洋平氏は、前年に防衛図書館で軍の関与を明確に表す旧日本軍の文書が発見されたのを受け、強制性を認め、お詫びと反省の意を表明した河野談話を発表している。ただし、以後も政府は法的責任は認めていない。

外務省による、慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策をまとめたページはこちら

慰安婦問題について、それがまるですべて嘘であるかのように糾弾したり、日本軍だけではく、他の国だってやっていた当然のことなのに、なぜそこまで「取り立てて騒ぐ」のかという人がいる。自ら望んだくせに、あとでお金が欲しくなって言い出したんだろうという人がいる。
これを書いている今、キーボードを打つたびに心底ぞっとする。慰安婦問題は、旧日本軍による戦時下の加害のみが問題なのではない。声をあげた彼女たちに対しての、現在に深く根付く性差別の問題でもあるということを思い知る。

慰安婦問題は賠償の問題が含まれているので、とても政治的で、彼女たちの証言が一言一句、どのくらい正しいのかを検証する必要があると考えられている。だからこそwamの活動はとても慎重で、これほどにまで丁寧なのであり、それこそが長く続く戦いの証なのだなと思った。心からリスペクトする。
そしてそのことは、慰安婦問題が逃れられない使命のようなものである一方、少しさみしいことだとも思った。無理な話であるのは承知の上で、彼女たちの声を一度政治的な問題から解き、聞いてみたいと思った。

聞き取りは「証拠集め」ではない

私たちNOOKが大切にしてきたリサーチ方法の軸は、聞き取りである。あるひとの聞き取りをしようとするとき、その語りが「どのくらい事実に即しているのか」という問題がある。
語り手によってはとてもマメで、メモや日記が事細かに手元に残っており・・・という方もいるが、大半はそうではない。歳を重ね、何十年も前の話を語ってくれるとき、話を聞いた一回目と二回目で、年数や場所が変わった語りになることがよくある。もちろん、そもそも記憶違いをしていたり、ある感情が乗って事実とは別の思い出になっていることも、誰にでもある。
それらは一部”嘘”(そもそも嘘という言い方は合っていない)だという理由で、聞いても意味のない、退けるべき話なのだろうか?もちろん、そうではない。その人の身体が、そのときそう感じたということは、とても大切なことなのだ。単なる事実ではなく、そういうある身体を通過した「経験」こそが、次の誰かに手渡されるフィクション(物語)の原形を潜めている。

言葉の端々をやみくもに信じるのではなく、まず目の前にいる語り手を信頼すること。

身も心も傷つき、それでも、人間の愚かさを語り継ぎ、よりよい関係を結ぶ社会に向かっていこうとする人たちの複数の声をしっかりと受け止め、信頼する身体を持っていたいと強く思う。

追伸:
わ〜書くの難しかったです。書ききれていない部分もありますが、お許しください。アクティブ・ミュージアムには3時間半ほどいて、閉館時間間際に出て、瀬尾さんと高田馬場まで歩いて豆花(トウファ)を食べました。かき氷じゃなかったけどとってもよかった。美味しかったです。

磯崎未菜(アーティスト・映像作家)

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