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末端の人の気持ちを想像する

2022年7月18日 カロク採訪記 中村大地

ほんとは行くつもりだった

うだるような日差しの中で、早稲田にあるアクティブ・ミュージアム~女たちの戦争と平和資料館を目指していた。この一週間で5月のときのように東京都内の様々な資料館を巡る予定でいた。18日(月)は海の日だったので、翌火曜日に多くの資料館が休みになる(たいがい、多くの資料館は月曜日が休館だ)。だから事前に確認して、月曜日営業のアクティブ・ミュージアムで待ち合わせることにした。
一足先にAVACOキリスト教会館についた私は、建物内が真っ暗なことに不安を覚える。2階に上がってみると、なんとアクティブ・ミュージアムは休館だった。月曜日は営業しているが祝日は休みのタイプの資料館だった。こういう小さなやらかしを良くしてしまう。あんなに確認したはずなのに(ちゃんとWebサイトには祝日は休みって書いてあった)。瀬尾さんと磯崎さんに連絡を入れて、急遽目的地を変更。AVOCOから結構歩いて、大江戸線の一度も使ったことのない駅から都庁前を目指し、駅直結の新宿住友ビル33階にある平和祈念展示資料館へ向かった。

(後日あらためてアクティブ・ミュージアムにも行った。その様子はまたあがると思います。)


祝日は休みってちゃんと書いてあった


平和祈念展示資料館へ

平和祈念展示資料館は、総務省が委託する、“さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のより一層の理解を深めてもらうため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示”している施設だそうだ(※ホームページより引用)。前回訪れた九段下にあるしょうけい館(戦傷病者史料館)は厚生労働省の委託だった。この2つに加えて、九段下の昭和館の3つが、国が運営している戦災関係の資料館ということになる。
夏休みで、館内は親子連れが多くいた。3館合同でのスタンプラリーをやっていたり、子ども向けに、どうぶつと戦争の関わりにフォーカスした「どうぶつどこかな」という展示特集がされている。

受付で音声ガイドを借り、子どもたちに混じって展示を見る。中心となっているのはしょうけい館同様、兵隊たちの戦争体験についてで、その周辺(国内での暮らし)などについてはごく僅かにしか描かれていない。展示は大きく「兵士コーナー」、「戦後強制抑留コーナー」、「海外からの引揚げコーナー」の3つにわかれている。

ついつい、8月15日という終戦記念日が戦争の終わりでそれの前と後で世界がばっさりと変わったかのようにイメージしてしまうことがあるけれど、実際、ゲームが終わるように戦争は終わらず、アジアの各地に散らばった兵隊たちや、現地に移り住んだ人々はその後も多くの困難を強いられた。かつてNOOKが仙台でやった展示「語り野をゆけば」の際にお話を聞いた小野寺哲さんはシベリアにて2年半の抑留の後に帰国。水木しげるの昭和史によれば、水木氏が南方から船に乗って帰国したのが昭和22年の3月とのことなので、終戦から1年半以上。当然、帰国を待つ間に亡くなってしまった方もたくさんいた。横井庄一さんや小野田寛郎さんの名を出すまでもなく、戦争はなかなか終わらなかった。

堪へ忍べと彫られた湯呑

末端の人たちの気持ちを考える


ラーゲリと言われる強制収容所での暮らしのなかで、重労働に従事させられた日本兵たち。そしてそのなかでも手製の麻雀牌をつくったり、作業所の廃材を使って食事用のスプーンや食器を自作し(スプーンに個性が現れている!)ているのは、暮らしの力強さを感じるところでもある。収容所で起こった「民主化運動」は、収容されている日本軍内で、同じ捕虜なのにも関わらず階級によって待遇が異なることに対する不満が端緒となって起こった。国内で起こったGHQのそれとは異なり、ソ連の立場から日本やアメリカを批判し、ソ連や共産主義をたたえる文化活動や思想教育が行われていたそうだ。収容所のなかで発行されていた新聞には「アメリカ民主主義の正體」という論説が載っていたりする。

資料館のキャプションにはこう書かれている。

“民主化運動は最初こそ穏やかなものでしたが、やがてソ連側に選ばれた一部の日本人が主導者として運動を取り仕切るようになると、個人攻撃や密告が行われるようになり、抑留者同士の対立へと発展しました。”

立場が違えば、また違う立場の国や民族を“敵”とみなして戦うけれど、そこで生まれる力関係や差別、暴力と、末端で起こることにはいつの時代も大きな違いがないように思える。小野寺さんは言う。

私は生涯二等兵ですから
末端の人たちの気持ちしか分からないのよ
そしてね、そういうものこそ想像しなきゃならないと思う
銃の乱発だけが戦争でないんだね
戦争っていうのは、戦闘地域の人たちだけじゃなくて、
いろんな人の関わりあいがあるんだ

「立ち上がりの技術01」 一般社団法人NOOK 野尾久舎

軍人に限らない。海外で住むことを強いられた人々、国内でひもじい思いをした人々。末端の人々にひとつひとつの暮らしがあって、いろんな人の関わり合いがあること。いつの時代も変わらない、と言ってのけることはできるけれど、その暮らしの細部を見つめ、想像してみてこそ、ようやく戦争体験のない私にも見えてくるものが、そして触れることができるような気がする。

立ち上がりの技術01より

「絵筆(彩管)で国に報いる」ことの内実


資料館ではあわせて、特別展「軍事郵便絵葉書に見る 彩管報国の画家たち」が行われていた。従軍して国威発揚の絵を描かされた画家たち。もちろん戦闘風景を書いたものもあったけれど、とりわけ目についたのは異国の街の人々の暮らしや、なんてことない風景画の数々。表現に制約があるなかで、淡々と自分にできることとして絵を描く。その切実もまた想像できることとしてあるなと思う。
また、漫画表現になると、かなり思想的な部分が顕著に滲むようになり、メディアの異なりも強く感じた。これが当時の子どもたちを熱狂させ、軍国教育に一役買ったのだろう。


展示の最後に、今この時代で起こっている戦争に対して、平和記念展示資料館がとても真っ直ぐなメッセージを掲げていた。


中村大地(作家・演出家)

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