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地球人全員の笑顔を百倍にするのが夢!!

どうも僕です。
私は「原付ら~めん」という名前と
「千代紙と花の伝道師」という肩書で仕事をしています。
折り紙作家ではなく、「伝道師」というのがミソでして。
作品を究めるのではなく、折り紙と花を伝え広めるのが仕事。
それで笑顔を増やす続けるのが夢です。
なぜこうなったのか。
それには深い理由があります。
順を追って説明していきます。


幼稚園児の頃

私は物心ついてすぐ。
お菓子の空き箱や、新聞チラシとかを使ってロボットとかを作って遊んでました。
あまり裕福な家庭ではなかったので。
自分でおもちゃを作って遊んでたんですよね。
家族構成は、私はひとりっ子で兄弟なし。
両親と祖母と四人で暮らしていました。
厳密には叔父もいましたが、重度の知的障害を患っていたため、精神科の閉鎖病棟にずっとおりました。

ものづくりにこの頃からハマってました。

小学生の頃には

「ふしぎの海のナディア」というアニメと、エジソンの伝記を読んで。
発明家というか、エンジニアになりたいなと夢を抱きます。
純粋に工学が大好きになりました。
そのせいで。
当時、ミニ四駆が流行ったんですが。
ミニ四駆に秒で飽きましてね。
タミヤの工作シリーズってやつで、ギアだけとか、タイヤだけとかをバラで買い集めて、自分で設計してミニカーを走らせてました。
無線を買うお金はなかったので、導線を長くしてリモコンカーです。

しまいには、スピーカーやマイクも自作。
コイルをまいてモーター自体も自作して遊んでました。
のちに、これらの経験が花咲きます。

中学では?

引き続き、いろいろ作って遊びます。
体育祭でのパネル作りとか、壁新聞とか。
なぜか知らないけれど、女子に混じって男子は俺だけで制作してました。
作るのは大好きだったんで、部活や授業よりも、そっちのほうばっかり集中してましたね。

だから、工業高校を受験したのです。
機械いじりと、ものつくりがしたいなと思ってね。
だけど、なぜ工業高校なのか、その理由を聞いてくれた先生は誰ひとりいませんでした。

しかし、工業高校、不合格。
なぜか普通科の大学進学コースに受かります。
普通は逆ですよね?
なぜ工業高校に落ちて、大学進学コースに受かるの?

高校生3年間は10年くらいに感じた

大学進学コースに間違って入ったようなもんでしたから。
勉強に追いつくのがすごく大変でした。
大学なんて想定外で。
それでもめげずに、死ぬ思いで塾に通い、自主勉強もほぼ寝ずに行いまして。
なんとか理工学部の機械工学科に合格。

部活をしながら、生徒会の活動もしながらだったので。
よくあそこまで頑張れたなと思います。
今だったら一週間もしないうちに、ぶっ倒れるでしょう。

加えて、高校生の頃に読書をたくさんしました。
当時、流行った脳内革命とか。
雑学の本もだいぶ読みましたね。
当時はパソコンがまだまだ高値で、ネット回線もやっとISDNの時代。
情報を得るには本か雑誌か新聞か。
もしくはテレビかラジオくらいなもんで。

だいぶ偏った情報ばかりだった気がします。
しかも古い。
情報が古い。
いつの時代だよ、いまは平成だよっていうね。

さらに、偶然、私の家にWindowsのパソコンがあり、そのパソコンにいろいろなビジネス文章のテンプレがあったのと。
大学受験の小論文の参考書を読み。
文章の書き方の基礎がわかった時期でもあります。
高校のときの卒業文集とかに添削なしで掲載されたのは私だけだったそうで。
のちに同窓会で社会科の先生から、
「キミは文章が得意だったよね。今もなにか執筆みたいなことしてるの?」
文系の先生から言われたのですから、僕自身はよくわかってないけど、今のこのnoteに通じてる気がします。

大学4年間は30年くらいに感じた

高校生の頃は、やることが決まっていたので3年間が10年間に感じたけれど、あまり書くことがない。
ただ、大学生の4年間は激変だったので、たくさん書けます。

・就職とかどうでもいいんだよ

今でこそ、スマホが普及し、パソコンもだいぶ安くなり、ネット環境が整ってきてるので。
フリーランスとして仕事しやすくなり、起業もしやすくなったけど。
僕は当時から、就職とかどうでもよかったですが。
周りの同期や先輩、教授たちから同調圧力で強要してくるわけですよ。
そもそも、僕は機械工学を勉強さえできれば、大卒資格もどうでもよかったわけで。
働きたかったら、バイトから正社員になる方法も知ってたんで新卒採用とかどうでもよかったです。

僕が大学に入学する頃には。
僕は完全に自己実現欲求で、やりたいことしたいのと、実力を試したい気持ちでいっぱいでした。
ところがどうでしょう?
他に行くところがなかったら、この大学に入学したとか。
就職に良いから理工学部に入ったとか。
僕には1ミリも理解できない学生ばっかりだったし、教授もそうだった。

僕は純粋に工学を勉強したかったのだが。
いかに効率よく単位をとって卒業するか、そういう学生と教授たちしかいなかった。
居場所がなかったね。

・アルバイト

僕は学生時代、3つのバイトを経験した。
個人経営の飲食店、コンビニ、家庭教師。

飲食店では、店主がとても良い人で。
良い意味で厳しい人だったので、僕の人格形成に良好な刺激でした。

1部の小料理を作るのも任されたので。
料理もだいぶ覚えて、今でも役に立ってます。

コンビニでは、オーナーがそのコンビニ内でマルチ商法をしており。
病気がよくなると言って健康食品を売ってました。
はい、完全にアウト。薬事法違反。
履歴書にパソコンが得意と書いてしまってたので。
あるとき名刺を作ってくれと頼まれますが。
その名刺、そのマルチ商法のための名刺でして。
それがきっかけで法律を調べまくり、僕自身は騙されることも騙すこともできなくなりました。
コンビニ店員の仕事自体は大好きですけど。
オーナーがね(笑)

最後、家庭教師ですけど。
理工学部に入ったからには理科教師になっても良いなと思いまして。
家庭教師をしてみるわけです。
田舎の高校で、まったりと理科教師&陸上部顧問っていう生活も良いのかなと。
実際に高校受験の中学生を目の前にして、勉強だけでなく、可能な限りの人格形成を良くしていこうとアプローチしました。
この家庭教師の経験で。
そのへんの中高生でもわかる言葉で、難しいことをわかりやすく説明する能力がだいぶできあがって。
このときの思考回路は未だに役に立ってます。

家庭教師での1番の実績は。
高校受験の三ヶ月前に分数の計算ができなかった生徒が、商業高校の会計科に見事合格しました。
さすがにさじを投げるところでしたが。
僕は僕で高校受験で嫌な思いをしたので、一肌脱ごうと覚悟を決めて引き受けました。

・サークル活動は陸上部

僕は中学から大学卒業まで陸上部でして。
高校からハンマー投げをしていて、大学に入ってからもやってました。
大学の筋トレルームはいつでも使えたので。
むっちりと筋トレしました。
ハンマー投げなので、大胸筋とかはあまり重要ではないので。
足腰を鍛えるために、スクワットを頑張りました。
260キロのバーベルで普通にスクワットできるようになりました。
MAXの測定をしたかったのですが。
その大学に200キロ以上で筋トレできる人が私しかおらず。
あまりに危険なため、苦労しました。

そのときの筋肉と食事管理は未だに役に立ってます。
それと、順番にやることやれば必ず結果はでる、という成功体験で。
未だに挑戦することが大好きで大好きで。

結果、令和になってから折り紙を本格的に始めて。
ほんの3年目でフランスのパリの大きなイベントに参加、展示販売できました。

・インターネットにハマる

単純に、機械工学科ですから。
機械設計するためにはCADが必要なのと。
今どきの機械製造はコンピュータ管理だから、というので。
バイト代でパソコンを買いました。
当時はすでに、パソコンでレポートや卒論を書くのが当たり前だったというのもあります。

そしてある日。
レポートを書き終わったときのこと。
思ったより早く書き終えたので。
テキトーにネットサーフィンしてたんですよ。
そうして、Yahooもみてて。
チャットルームというのがあったので、そこにアクセスしてみたのです。
そうしたら人の声が聞こえまして。
当時はライブ配信とは呼ばれてませんでしたが。
いまのライブ配信の原型がそこにありました。

それだけで培ったわけではないですが。
大学生のときの、1番の影響はインターネットでした。
日本中どころか、世界中の方々とリアルタイムに話せる。

当時からskypeというものがあり。
無料でいくらでもビデオ通話とかができました。
楽しい時間を過ごしましたね。

そうやって楽しんでるうちに。
ある日、私のライブ配信に高校生がやってきます。
話を聞いてみると。
明日、大学の合格発表だと。
途中からskypeに切り替えて、その不安な気持ちを聞いてあげました。
そして合格発表の時間がやってきました。
残念ながら不合格。

僕は言葉をだいぶ選んで、ライブ配信をするように、うまく話を持っていきました。
そしてライブ配信のやり方とか設定を、その高校生に伝授。
楽しいライブ配信になっていたようで。
うつにもならず、滑り止めの大学で元気にキャンパスライフをすごしたようでした。

それがきっかけで。
これからはインターネットでの動画・音声コンテンツが絶対に定番になると私は確信しました。
同時に、教育業もオンラインになるだろうと確信しました。

・ブログが大流行

眞鍋かをりさんがブログ女王と呼ばれていた頃もこのときで。
僕はブログを書きまくりました。
とにかく、気になったこと、興味あることから順番に。
書きまくってました。

この頃、HTMLのタグうちもできるようになったばっかりで。
それで自分のブログを改造したりもしました。

とにかく、書きまくりました。
家庭教師の経験から、そのへんの中高生でもわかる言葉で時事ネタとかをわかりやすく解説とかもしましたね。
専門家向けではなく、一般の方々、万人向けに書いていたので。
とにかく、いかに難しい単語を使わずして、わかりやすくまとめるか。
このときの経験が、そっくりそのまま、いま、ここにnoteで役に立ってます。

最初はオンラインゲーム内でのブログでした。
今はあるのかな?
ハンゲームというゲームサイトで。
老若男女問わず、いろんな人々と交流して。
仲良くなった方々がそっくりそのまま、ブログもみてくれてね。
大学に居場所のなかった僕にとって、とても有意義すぎる時間であり、落ち着ける場所でもありました。

・就活の時期に入院

ここまで読んで、なんか思いませんか?
そう、私は単位をほぼコンプリートしたうえに、ハンマー投げのトレーニングもして、バイトもして、パソコンのスキルもつけた。
過労で入院しました・・・・

このときの入院も、大きな経験です。
同じ大学生も何人かいて。
いろいろな事情をもつ方もいて。

EQ(心の知能指数)とかの、心理学の本を読み漁ったのもこの時期です。
人間には限界があり、キャパオーバーするとかえって効率悪いことに気が付きます。
72時間働けますかっていう名台詞を恨みます。

同い年の中では、飛び抜けて能力をつけ、パーフェクトヒューマンな大学生の僕でしたが。
物理法則を超えてしまったために、長期休養をせざるを得なくなり。

それでさらにインターネットへ癒やしを求めて、ネットに夢中になります。

大学卒業後

就活を思うようにできなかったのもあり。
実家に帰ってきました。
運良くホームページ制作のスタッフとして働きますが。
労働契約ではなく、業務委託というカタチをとられてしまい。
いくら仕事しても、月収1万円にもなりません。
泣く泣くコンビニでバイトします。
バイトしながら、ライブ配信にハマります。

そんな中、祖母をドライブにつれていく日々が始まります。
時間の許す限り。祖母を助手席に乗せて日帰りでドライブしにいく日々。
決まって、ファミチキとオロナミンCが祖母のおやつ(笑)
あの水色と緑が看板がみえると。
「肉うめぇよな。うめぇよな。うめぇよな。」
可愛いばーちゃんでした(笑)

当時、インターネットでビジネスを学んでましたが。
そのとき、こんな話を聞きました。
「明日、死ぬとしたらどうする?」
という質問に。
今日も変わらず同じことをし続けるのが幸せだと。
料理人なら料理を作る。
画家なら絵を描く。
小説家なら小説を書く。
そういうのが本当の自由だと。

それと同時に。
お世話になった人にギリギリになってから挨拶に行くのではなく。
世話になったんなら、とっくの前に挨拶は済ませておくよという話。

別の記事で書いたけど。
僕の祖母は苦労人なので。
最後くらいは良い思い出を作りたくてドライブにつれていった。
僕と僕の家族は岩手県奥州市に在住だけど。
石巻市、古川市、気仙沼市、横手市、陸前高田市、日帰りでいけるところは全部行ったつもり。

ばーちゃんの喜ぶ笑顔がみたくて。
当時、自分にできることはすべてやった。

ものつくりが得意だった僕は折り紙でかわいいのを作った。
ばーちゃんに見せて、笑顔になってほしくてね。
花もドライブ行った先で見せたし。
自宅の畑でも育てまくった。

ライブ配信がさらに人生を変える

ニコニコ生放送、ふわっち、ツイキャス、SHOWROOM、17ライブ、ポコチャ。
このへんのサイト&アプリで僕はライブ配信する側でもあり、視聴する側でもあり。
とくに大学卒業後、すごくハマった。
老若男女、LGBT問わず、いろんな人と雑談しまくった。

僕のようにバイトをしながら頑張ってる大学生もいたし。
精神疾患や難病に苦しむ人も大勢いたし。
家族の介護で大変な思いをしてる人もいた。

そんな方々に、僕ができること。

祖母が笑顔になったように。
少しでもと思って。
SNSとかで花の写真を投稿し始めた。
最初はハンゲームというサイト内のブログだった。

東日本大震災

この大震災は、僕だけでなく。
かなりの多くの人の考えを変えただろう。
いつ世界が終わるとしても「今を全力に真剣に生きる」
これがすごく大切じゃないかと思う。
僕はこれまでの経験から。
ものつくりと、インターネットでどうにかして、笑顔を収益を同時にあげていけたらなと覚悟を決めた。

人生一度きり。
よくわからない会社に人生を捧げるのではなく。
わけのわからない上司の言いなりになるのではなく。
自分の夢や、やりたいことに人生を捧げるのです。
本気で僕は覚悟を決めた。

僕の夢は「地球人全員の笑顔を百倍にすること」
ばあちゃんはもちろん。
ライブ配信で出会った方々、これから出会う人々にも。
千代紙と花を通じて笑顔になって頂けるのが大前提。
それで僕のオフラインでのイベントに1回でも参加してくれたら、僕はものすごく嬉しいのです。

今の積み重ねが未来。
ということは、今を全力で真剣に生きるのが大切。
僕には僕のできることで、今日やることはすべてやりきる。
今日じゃなくていいことは割り切ってしないようにする。

いつ、震災がどこで起こるかわからない。
お正月の能登半島地震もそうです。
もしかしたら、今後、僕がイベント等のために出張した先で震災が起こる可能性も高いです。
そのときに何をどうできるか。
瞬時に判断できるように、今のうちから考えていきたい。

タロット占いに目覚める

ライブ配信に夢中になる中。
そのライブ配信での友達がひとり、占い師になると、ライブ配信でタロット占いをしていました。
試しに僕も占ってもらったら楽しくて。
僕もタロットカードを購入。
入院をきっかけに心理学の本を読み漁ったのもあったし。
家庭教師もしてて、保護者様の相談にものってましたから。
これはイケるんじゃないかと、僕もライブ配信で占いをはじめました。

そうしたら、タロット占いの不思議に気づきます。
相談なさる方が真剣に悩んでいるほど、ちゃんとカードがでるんです。
ランダムにシャッフルして、何枚か引くんですが。
ランダムのはずなのに、相談内容に応じたカードが順番に並ぶんですね。
それを読み取って、言霊を選んで伝えるんですが。
それで笑顔になる人が多いです。

占いに関しては別の記事でまとめるので、そちらで見ていただくとして。
ここで言いたいのは、僕は僕にできることで笑顔を増やしたいので。
折り紙と花以外にも、占いもするよ、ということ。

1ミリでも笑顔が増えるのならば。
僕は折り紙を折るし、花も育てて花の写真も撮るし。
占いもするし。素敵な言霊もプレゼントします。

千代紙と花の伝道師、生誕

ただの折り紙ではなく。
和柄の千代紙で作品を作り、花の写真も映えさせて伝え広める。
令和になったタイミングで、これで生きていこうと覚悟を決めた。

SNSには花の写真、折り紙作品の写真をほぼ毎日、投稿。
ライブ配信も併用して、フォロワーさんの数を着実に増やしていった。
中身のない数は必要ない。

ちゃんとみてくれる、実態のある数でないといけない。
だから、僕の方から無作為にフォローする、ということは今でもしてない。
良いと思ったものに、いいねは押したりするけど。
無作為にフォローはしてない。

最初は祖母に笑顔になってほしくて始めた折り紙と花。
これを写真におさめてSNSとかライブ配信で、フォロワーの皆さんにお見せしていたら好評になってきてね。
令和になったタイミングで「千代紙と花の伝道師」として活動開始。
公式サイトとかも自分ですべて作って整備した。

とにかく、折り紙を折りまくって作品を作ると同時に。
花も育てて、花の写真も撮りまくって、SNSやライブ配信でシェアする日々。
とても楽しかった。
本当に楽しかった。

作品は可愛いと言わるし、花はきれいだと言われるし。
モチベーションはあがっていくばかり。
もう人生に夢中だよね。

昔の古代哲学者や、孔子の論語や学問のすすめでも言われているが。
心理学的にも。
純粋にそれが大好きで、それに夢中になるのが1番クォリティーだせるという事実。
要するに社会的欲求でも承認欲求でもなく。
自己実現欲求で仕事するのが、その仕事で1番結果だせるわけ。

幼少期からの、ものつくりの技術、家庭教師やコンビニバイトで人と打ち解けれる技術、インターネットを使いこなす術、総合的にみて。
僕は今のこの仕事が天職だ。

そしてコロナ禍でフランスのパリへ

そんなこんなで、千代紙の作品と、花の写真を毎日のようにSNSに投稿して、ライブ配信をする日々。

令和二年の2月のこと。

フォロワーさんもじわじわ増えてきたし、そろそろホントに個展とかセミナーとかやりたいなぁと。
いくつかの会場に問い合わせして、実際に下見に行こうと計画を練っていたところ。
ニュースで新型コロナウイルスのことが報道され始めます。
どんなに長くても半年もすれば収まるだろうと個人的に思ってました。

しかし、様子みればみるほど、どんどん事態は深刻に。
さらに僕が住んでる岩手県は、最後までコロナの陽性者ゼロ。
岩手県の第一号になったら、おそらく、嫌がらせをものすごく受けるだろうと容易に想像できた。
それじゃバイトもできやしない。

ただただ、折り紙を折るしかない。花の写真を撮るしかない。
1日あたり500円もかけずに食事をして。
20キロくらい体重が落ちました。
120キロあったのでちょうどいいダイエットではございましたが(汗)

めげずにSNSに作品を投稿してました。

突然にフランスのパリへ

そんな中、突然、私の公式サイトのほうへ連絡が入ります。
「フランスのパリで、ぜひ折り紙作品の展示販売しませんか?」
最初は詐欺かと思いましたが。
詐欺かと思って調べるほどに、本物だという情報しかなく。
URLもメルアドも本物。
ちゃんと公式サイトもある。
ライブ配信仲間の、フランス料理のシェフとかに聞いたら、それは無理してでも行ったほうがいいと!!

とりあえず、Zoomしましょうということになり。
その担当者さんの受けごたえも本物だったし、契約書もきっちりしている。
資料の中に、くまモンもいる!!!

すぐに契約書にサインをして手続きを済ませました。

で、そのつもりで準備を進めていたら。
やはりコロナ禍の騒ぎで来年ですと連絡があり。
その運営法人のスタッフさんも在宅勤務だそうで。

ですが翌年、見事、フランスのパリへ行って。
JapanExpoParisという、20万人が訪れるビックなイベントで展示販売ができました。

伝統文化部門で、折り紙代表選手といえばわかりやすいでしょうかね。
同じ伝統文化部門の中には、浮世絵師さん、呉服屋さん、陶器の職人さん、ガラスの切子細工の職人さん、伝統芸能の皆さんもおりました。
一生の思い出です。

ふしぎの海のナディアというアニメが好きだったんですが。
そのアニメの聖地である、エッフェル塔&セーヌ川で、ディナークルーズはとっても印象に残りました。
めっちゃ嬉しかったです!

祖母からのプレゼント

祖母の笑顔がみたくて。
自分ができることをすべてやった。
その記録をオンラインで、フォロワーさんにシェアしたら。
結果的にフランスのパリへ。

コロナ禍の中、享年93歳、大往生の祖母。

かけがえのない、祖母のプレゼント。
パリへ行けたのは祖母からのプレゼントなんだと。
僕はそう確信している。

大切なものはそこにある。

自分の好き&得意を活かして。
身近な誰かのために尽くす。
その記録をオンラインに残すというのは。
それだけで笑顔と収益が同時にやってくる。
少し時間がかかるかもしれないが。
それはそんな1日や2日でできるもんじゃないから。
継続が1番だと思う。

ばあちゃんの笑顔にかけて。
僕は、この地球上を笑顔で埋め尽くしたい。

地球人全員の笑顔を百倍に!

ここまで読んでみて、いかがだったでしょうか?
この記事では、あえて覚悟を決める、という表現をしました。
これも言霊ですね。
ただただ言われたことを、その通りするだけなら誰がやっても結果に大差はない。

しかし、今の僕のように、フリーランスだったり。
起業するとしたら。
ちゃんと笑顔と収益を同時にあげるんだという覚悟が必要かと思います。

これに人生をかけるんだっていう決意ですね。

僕は折り紙と花を通じて、笑顔を増やすことに人生をかけてます。
伝道師という肩書なので、伝え広めることで笑顔を増やします。
伝え広める手段のひとつとして。
このnoteもすごく重要なわけです。

加えて、物理法則に則っていれば、なんでもできるわけです。
例えば、このnoteはスマホか、パソコンで閲覧できるわけですが。
コンピュータの仕組みも、製造も。
物理法則に則って設計されてるから、情報処理がどんどん高性能になっていく。

スポーツだって。
重力だったり空気抵抗だったり、人間工学だったり、栄養学だったり。
科学に則っていれば、結果がでる。

折り紙も科学というか工学、設計の基礎でもありますから。
笑顔を増やすと同時に、科学の素晴らしさも広めていけたら僕は嬉しいのです。

花も、生命の営みの1部ですから。
科学に則って育てれば、きれいに咲かせます。

最後に

ばーちゃん、みてるか?
ばーちゃんが残した桔梗とか椿とかツツジの写真。
みんなに大好評だぞーーー!
あと、火葬のとき、福鶴もいっしょに火葬したから。
さみしくねーよな?
来年、またパリ行くからよ。
今度はばーちゃんの写真もいっしょに持ってくぞ。
いっしょにエッフェル塔みるべ。
肉、好きだべ?
フランスのハム、うめぇど!!
待ってろよ!!


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