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深海と少女

これは現在販売中の青の写真シリーズ「深海と少女」の裏側の世界のショートエッセイです。ぜひ作品と照らし合わせながら楽しんでいただけたら幸いです(作品リンクはエッセイの終着点からどうぞ)

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体の周りに薄い膜でも張っているかのような、手触りがあるような無いような。そんな「何か」に丁寧に包まれた体が重力と手を取り合い、下へ下へとゆっくりいざなわれて行く。

突然耳元で音がしたかと思うと、それは地上で溜め込んだ空気の気泡がコポコポと、名残惜しそうに元いた場所へと戻っていく音で、視界を僅かに揺らした。

突然体の落下が止まったかと思うとそこは海の一番底の部分で手のひらにはさらりと、冷たい砂の感触があった。

いまは一体いつなのか。
何時だったのか。
自分が何者だったのか。
そもそも「何者」であったことがあるのかすら
忘れてしまうような。

いや、きっと確かに存在はしているのだ。
わたしはそれらを全て置き去りにして、ここにきてしまっただけのような気がする。
確かに存在しているはずなのに、認識できないという状態なのは、果たして存在していると言えるのだろうか。

「いやはや、今日も暑くなってきたね」
突然、深海からわたしを引き戻した少女が言った。
「…そうだね」
ワンテンポ遅れ、地上に帰ってきたばかりのわたしが返す。
今まで閉じていた目の中には、夜の闇から目覚めたばかりの、とろけるような色合いの太陽が、さっきまで薄縹色の絵具を惜しげなくこぼしたようだった空に、ピンク色の絵具を塗りながらそっと顔を出し始めた様子が飛び込んできた。


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すう、っと空気をひとつ飲み込み、吐き出す。既にもう生暖かい。
「砂漠の民たちの中間地点」と呼ばれるこの場所は、まだ10月だと言うのに、日中はもう、半袖のわずかな袖部分さえもちぎってしまいたくなるほどに気温が上がる。また焼けてしまう。こんがりグリルされたこの体に、焼けるところなど残っていないはずなのに。

iPhoneの画面に目をやると、まだ朝の6時を指していた。
わたしは目の前の、それはそれは大きな青い建造物の正面に向き合う。

どこまでも、いつまでも静かな青。
細部まで施された小さな模様たちはまるで色とりどりの小魚のようで
ずしりと、滅多なことでは微動だにしないであろうその面持ちは
不思議な心地よいリズムを放っているようで、吸い込まれそうになる。

やはり、ここは深海だ。
耳元で、聞こえるはずのないコポコポという音が私をゆっくりと、また深い青の世界へと誘って行った。

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