自分にできることを。母が希少ガン「子宮平滑筋肉腫」になり、再発した話

「早くて年末年始かもしれないから。そういうことだから、よろしく」
いつものリビングで父から告げられた言葉に、最初に頭に浮かんだ言葉は、”ああ、しまったな。” でした。
走馬灯のように頭の中を流れていったのは、あれもしてあげてない、これもしてあげてない。あの時こうすれば良かった、と後悔の波と「癌患者の家族のほとんどは、まず深い後悔の渦に飲み込まれてしまう」という、どこかのサイトで見た言葉。

進行が猛スピードですすむこと。
5年後の生存確率が低いこと。
現在治療法が確立していないこと。
抗癌剤の効果がたいしてのぞめないこと。
その抗癌剤をふくむ治療費用にほぼ保険がきかないこと。

母が現在戦っているのは、そんな病気です。


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「なんだかお腹がいたい」
と母が言い出したのは、今年の1月頃。

当時、父の退職金カットと我が家のマンションのローンにより家庭状況が芳しくないことが、わたしの耳に入ってきたタイミングでした。
子供の頃から ” うちにはお金がないから ”と口癖のように言う両親に、また言ってるなあ、としか思っていなかったのですが、実際に蓋をあけてみると、まあお金が本当にない。
そこから家族全員で何度もマネー会議を開き、もうこのマンションを引き払って引越しをしよう、という話を固めている最中でした。

その後内科、婦人科、精神科にかかっても、原因が分からず。
わたしも父も、金銭への不安からくるストレスが原因だろうと構えていました。

「子宮に気になる影があり、癌の疑いがあります」
と診断が下ったのは今年の春先。
CTスキャンをしたり、精密検査をしたりを繰り返し、下った診断は
国内外でも10万人に1、2人しかかからないと言われている子宮平滑筋肉腫(しきゅうへいかつきんにくしゅ)という病気。ステージは5段階中、3まで進行していました。

そこからすぐに入院、夏の手術が決まり一時期は落ち着いたものの、今月12月に入り再発。
本当に、突然でした。

「腫瘍がちいさくならなければ再度の手術はできない」という医者の言葉と、日に日に妊婦のように大きく膨れ上がって行く母のお腹を見ながら、私にできることは何なのかを、ずっと考えていました。

ひとつは、なるべく母のそばにいること。
ひとつは、書いて残すこと。誰かに伝えること。
ひとつは、治療費は心配をかけないよう、できるだけ稼ぐこと。
ひとつは、最後までいっしょに諦めないこと。
そしてまだ死にたくないと泣く母の生命力と、主治医を信じること。

今わたしにできることは少ないかもしれないけれど。
一緒に戦っています。

そして今こうなったからこそ伝えたいと思うのは、
本当に、親はいつまでも元気ではありません。
大好きと、感謝と、そしてもし、何か家族間にわだかまりが残っている人がいるならば。
伝えてほしい。ありったけの言葉で。

いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。