アダルトチルドレンとしての私
おはようございます。
雨音で起きた朝、
ふと、自分と向き合ってみようと思い筆をとっています。
まずこの記事のテーマの大前提として、告白をすると、私はアダルトチルドレンの1人だということです。
認めたくない思いはあるのですが、
ええ、素直に、
そうなんだそうです。
アダルトチルドレンについては、検索していただければいろんな記事が出てくると思うのですが、
大好きなWikipedia、からの引用は以下。
私はこの定義では、後者にあたります。
今までこのカミングアウトを上手くできずに生きてきました。
だってもうそれは過去のことですし、今の私は充分幸せで、何ひとつ不自由のない生活、環境で人生を送れているからです。
むしろ友人にも、職場で出会った人々にも恵まれて、今はとても幸せです。
それになにより、トラウマは克服するもの、という認識が自分の中であったからです。
そんな過去に縛られて今を楽しめない、泣き言を溢すことで大切な今を無駄になんてしたくなかったからです。
もういまは東京に出てきて一人暮らしをしているのでしっかり自立しておりますし、
原因となった家族との縁も、唯一同じ環境を共にした戦友のような妹を除き、絶っています。
なので、もうそれは過去のこと。
できるだけ前を未来を見ようと思っていました。
でも、だめでした。
少し前、ふとした時いつも以上に何かがとてもおかしくなって、このままではだめだと、
そして解決策を探しにネットで検索をしていた時、私みたいな人たちをアダルトチルドレンだと呼ぶことを知りました。
そして、個人でカウンセラーをしている知人に連絡を取りました。
幸運なことに近くに住んでいた彼女とお茶の約束をしてもらえ、告白をしてとことん話を聞いてもらいました。
そこで勧められたのが自分との対話を定期的にすることと、それでこの改善が見られなければしっかりカウンセリングを受けていくこと、でした。
なぜ克服できないのか自分でも不思議でした。
いままで一人ですべて乗り越えてきたつもりでしたし、苦しかったことも悲しかったことも糧にできたはずでした。
でもふとした時、何か小さなショックを受けた時やストレスを感じた時、
ひどく落ち込んでしまう癖がどうしても治らないのです。
死すら考えてしまう…
でも勘違いしないでほしいのは、それは常ではありません。
私はどちらかというと明るいポジティブな人間ですし、みんなでわいわい楽しめることに幸せを感じる人間だと知っています。
ただその揺り戻しが、ギャップが大きすぎて苦しく感じたりします。
なによりもショックを感じたのは、以前付き合っていた人と衝突した時でした。
怒りと激情故の自分の行動に、母を思い出し重なって……
呆然としました。
絶対そうはなりたくないと思った存在だった母の遺伝子を、面影を自分に見つけてしまったんです
愕然としました。悲しくて悔しくて仕方がなくて、その人とはお別れをし、
人と付き合う事がそれ以来怖いと感じるようになりました。
いまはそのカウンセラーの友人にアドバイスもらった通りのやり方で自分と向き合う時間をつくったり、
自己受容を心がけて少しずつ改善を試みています。
が、アダルトチルドレンというものは病気ではないので、改善はできても完治するものではない、とされています。
あくまで重要なのは、そんな自分とどう付き合っていくかどうか。
ビールやら美容やダイエットとかの話題を書くnoteに、突然すみません。笑
でもこれも自分のことを書いていく上で欠かせないピースの1つだったので、
この機会に記してみることにしました。
そして思うのは、私みたいな人はきっとたくさんいるし、皆普段のやりとりで話すことがないだけで、
きっと珍しくないだろうということです。
きっと人知れず苦しんでいる人はたくさんいる、
ただもしもこのnoteを読んでくださってる人がいたら、その人たちは決して望んで落ち込んでいるわけではないということです。
根性論でどうにかなる話ではない、
それがカウンセラーの友人から聞いた話で驚いたことのひとつでした。
明るく振る舞おうと、落ち込んだままでいないようにとすればするほど自分を追い詰めることにもなってしまうと。
だから自分を受け入れることが必要なんだそうです。
自分の傷を見て見ぬ振りするのではなく、しっかり見つめて受け入れていく。
それが改善の為の第一歩だそうです。
たぶんnoteに書くことも、SNSに書くこともそのうちの一つになるんではないかと、
思ってます。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。、
そんな自分と付き合いつつしっかり、今をしっかり楽しんでいきたいと思ってるので、
これからもどうぞ宜しくお願いします😊
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