地方公務員の本棚 中公新書編②

読んでいない本を大量に積んでしまっているので、本棚紹介と称して、それぞれの本を購入した動機などをまとめています。以下の要領で記載しています。
『書名』(著者名、出版年、出版社名などの書誌情報)
①読んだか読んでないか、どのくらい読んだか、読んでないか
②購入した時期や動機
③内容
④感想

『ルワンダ中央銀行総裁日記』(服部正也、1972年/増補版2009年、中公新書)
①読んでない
②大学生の頃、まだライトノベルと教科書でしか本というものを知らなかった時代に購入。今でこそ「リアル異世界転生モノ」として知られるようになった本書だが、実は2015年頃からTwitterなんかで同じような書評がされていてバズっていた。それを見て買った。
③ただの日銀の行員(職員?)であった筆者が出向としてルワンダ中央銀行総裁に?!そんな筆者を待っていたのは恒常的な財政赤字・貿易赤字だった!!「こんなんじゃルワンダ国民の生活はよくならないよ・・・」ということで、筆者が奮闘し、無双する本。
④ルワンダの言葉の固有名詞や経済の用語(平価切り下げ、など)が頭に入ってこず、挫折。さすがに買った当時よりは本が読めるようになっていると思うので、気が向いたら読むかもしれない。

『日本の地方政府』(曽我謙悟、2019年、中公新書)
①読んでない
②地方公務員になってから、自分がどういうところで働いているかが気になり購入(そんなもの就活の時に調べておけよという話ですが・・・)。ちなみに勝手な印象だが、政治がらみの本を探す時には、中公新書は比較的教科書的なものが多く、岩波新書は政策提言的なものが多い気がする(類書:中公『日本の地方議会』 岩波『地方の論理』『地域衰退』)。
③そんな中公新書らしく、本書も首長と議会の関係や行政マネジメントなどの基本的なところを解説していく。
④今パラパラとめくって面白いと思ったのは、地方政府を考える時、私たちは「人口」という指標を単独で重視しすぎてしまうことに、筆者が警鐘を鳴らしていることだ。実際、「ここ数年社会増が続いています」と言ってみんなバカみたいに喜んでいたのだが、実は技能実習生(数年で母国に帰る)などの外国人が増加していただけで日本人の社会動態はほぼ横ばいだった、みたいな面白エピソードがあり、しかも社会減に転化すると今度は外国人移住者の減少が原因だと主張するみたいな話も経験しているので、もっと実態を直視してそれに即した政策を考えようよと思う。(それは、「人口が増えてます」と言えば喜び「減っています」と言えば怒る私たち/あなた方の意識にも責任はあると思います・・・。)シニアがリタイア後に親の面倒を見るために入ってくるのと、バリキャリが地方創生を夢見て入ってくるのでは事態がまるで違うのである。年齢階級別人口、世帯人数、居住地域など様々な指標から複眼的に考えられるようになりたいものである。

『批評理論入門』(廣野由美子、2005年、中公新書)
①どちらかと言えば読んでない
②多分社会人になってから買った。人気の中公新書ということでとりあえず、だった気がする。私は中公新書レーベルに絶大の信頼を寄せている。
③M.シェリーの小説『フランケンシュタイン』を事例に、小説技法といろいろな批評理論の枠組みを解説する。
④批評理論(文学作品を読み解く時の枠組み)の解説本はいくつか持っているが、こういうのは理論そのものを直接解説するよりも、実際のテクストに即して、「これはこういうふうに読めます」と言ってもらったほうが頭に入りやすいだろう。これはそういう本である。幸い、『フランケンシュタイン』は光文社古典新訳で読んだことがあったので、抱き合わせで読めるかな、と思った。ちなみに、同じ著者の『小説読解入門』も買っている。これはG.エリオット『ミドルマーチ』(リンクは著者が訳した光文社版)をテーマにした同趣旨の本である。私は『ミドルマーチ』は読んでないので、多分読めない。

『入門!論理学』(野矢茂樹、2006年、中公新書)
①どちらかと言えば読んでない
②社会人になってからブックオフで購入。別にロジカルシンキングにも古典論理と非古典論理の違いにも興味はないが、大学一年生の時に論理学の授業を受け、ゲーデルの不完全性定理やウィトゲンシュタイン『論考』の存在を知り、「これはなにかある!」と思ったあの頃から、論理学という分野への執着を捨てきれずにいる。ただ、未だに教科書20ページぶん程度しか理解できている自信がない。
③「否定」、「かつ」・「または」、「ならば」といった論理記号(?)と、命題論理、量化子(「すべての」「ある」)について、使い方を解説する。「入門」と言うにふさわしいオーソドックスな内容だと思うが、よく見る記号(否定なら「¬」、「すべての」なら「∀」)が使われていないことが特徴だろうか。縦書きだとこれらの記号は読みにくいし、そうでなくとも慣れるのに時間がかかるので、これはいいと思う。
④特になし。強いて言えば、前述の理由から、「高校数学でやった「ド・モルガンの法則」あたりの話は苦手だった、けど分析哲学とかウィーン学団に興味ある」という人(そんな人おる?)にはおすすめかもしれない。

『浄土真宗とは何か』(小山聡子、2017年、中公新書)
①読んでない
②社会人になってから衝動買いした本だと思う。が、浄土真宗については出自の一つとしていつかきちんと向かい合わないといけないということは漠然と大学生のころから考えていた。ので、親鸞関係の本はいくつか持っており(『歎異抄』『親鸞和讃集』『親鸞をよむ』など)、本書もその一つ。
③(当然だが)親鸞を中心に、その前身としての法然及びその門弟、そして親鸞没後の教団の動きを近代まで下る。
④近代仏教思想も好きな私としては清沢満之や暁烏敏の紹介がされていないようであるのはどうなのという気がしないでもないのだが、教団・信仰の問題にとって、これらの「思想家」は本流ではないということなのかもしれない(なお、近代仏教(真宗に限らず)については、『入門 近代仏教思想』)。一方で、家族の問題に触れているのが興味深い。本来仏教では妻帯が禁止されており、妻恵信尼を得た親鸞はある意味破戒僧なのであった。


5冊ずつで記事にしようと思ったが、あまりにも読んでない本が続いたので、読んだ本を一冊挙げて締めることにする。


『印象派の誕生』(吉川節子、2010年、中公新書)
①読んだ
②思い出深い本である。大学生4年生の夏、「プーシキン美術館展」で荷物をコインロッカーに預けるのに万札しかなく、受付横のミュージアムショップでお金を崩すのに買ったのが本書だった。当時、私が美術館へ行く動機は9割ほどが「周りが行っているから乗り遅れないようにするため」だったのだが、本書を読むことで初めて「美術史的な観点で作品を見る」ことの面白さを知り、その年の後期に受けた美術史の授業や『まなざしのレッスン』などを経て、今に至るまで造形芸術への関心は伸び続けている。いわば本書は、そのタネになった本である。
③タイトルの通りである。印象派の誕生の経緯について、主にマネとモネという2人の画家から描く。ただ、印象派とその付近についての近視眼的な記述ではなく、図版を多数挟みながら、例えばルネサンスや新古典主義、クールベなどと比べてどういうところが違うのか、マネの提起した問題意識はマグリットにどう受け継がれたのかなど、扱う射程は存外広い。にもかかわらず、散漫な印象はなく、それぞれのテーマについてうまくまとまっている感じを受けた。
④とにかく、マネがアツい。それこそ見た「印象」の美しさならモネのほうが勝っているだろうし、実際印象派の展覧会ではマネはなんだか地味で、ルノワールとかモネのほうが人気があるのだろう。それは、「風景・モノを見る眼」においては、彼らのほうがいいものを持っていたからだ。しかし、「時代を見る眼」においては、絶対にマネのほうがいいものを持っている。手持ち無沙汰に鉄道を眺める少女と傍らで読書に熱中する母、バルコニーで互いに全く目を合わせずに外を向く家族、「フォリー=ベルジェールのバー」のうつろな目の女性、どれも「時代の事態」を徹底的に見抜く眼がないと描けないものである。そんな、観察者でもあり社会批評家でもあるようなリアリストのマネの姿が、とても強く印象に残っている。

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