夢にも人のたちつくすかな
おとといのこと。
暑い中、支援の仕事で公立高校を訪問した。
不登校中の高校三年生の子と会うためでありました。
不登校のまま卒業できない、その先の話をするため、学校から支援者として呼ばれたというわけです。そういうことは、ままあります。
それはそれでよいとして(話は無事できました)、その話をする前のこと。
わたしは約束の時間よりだいぶ前に学校に着いてしまった。校門前で30分ほど待ち時間が発生してしまい、立ったまま待つことに。
昨日はギラギラという表現がふさわしいほどの日差しが照りつけていて、日傘はさしていたけど立っているうちに段々ボーっとしてきた。
どうやらそれが原因で熱中症気味になったらしい。
そこからあと、ずっと頭が痛い。
高校から職場に戻ってすぐに仕事の会議が始まり、その会議が2時間を超え、なんだかよくわからん展開になった。そういう会議もままあるもので、話せば話すほどよく分からなくなってゆき、熱をもって語る人と、置いてけぼりで妙に冷めてく人とに分かれる。
わたしは白熱するでも冷めるでもなく、ただただ頭が痛かった。
「あの、頭痛がするので帰っていいでしょうか」
とよほど言いたかったが、言い出せない雰囲気だったんだよな。これは話のカタがつくまで帰れないぞー、しかもこれたぶん結論出ないぞー、っていう会議もままあるものである。とほほ。
結局、終業時間をわりとすぎてから、ほうほうのていで、というか、ひたすら「頭が痛い」と思いながら帰宅した。
翌日の昨日も頭が痛かった。
冷えピタをおでこにはってしのぐ。
右おでこと左おでこと、2枚貼りである。
娘は昨日から学校の宿泊行事で、3泊4日で長野へと旅立って行った。そのうち2日間、山に登る。なにも2日連続で山に登らなくてもと思うのだが、学校の伝統行事なのらしい。
登山靴に登山リュックの本格的な出で立ちで、早朝に出て行った。
しばらくは娘がいない家に帰ることとなる。
なんだかさみしいような気もするし、いまごろ大丈夫かなと心配もしてしまうし、心にヒュと隙間風が吹いている感じだ。もう高校生なんだから大丈夫なんだろうけど。いつまで経っても娘のことはやはり心配なのである。
それにしても、頭いてて。
・・・
とある探し物をしており、引き出しの中をごそごそしていたら、懐かしいノートを見つけた。
20年くらい前に宮沢賢治記念館で購入した、賢治の使っていたレプリカの黒い手帳。
こんな風に賢治の筆跡がそのまま残されている。
その手帳に、わたしはいくつかの書きつけをしていた。
むかし、わたしは読んでいる本に好きなフレーズがあると、手帳に書きうつしていた。それは高校生の頃から始まった習慣で、その手帳は6冊ほどにもなった。いまではもうやってはいないのだが。
この賢治の手帳も、そのなかのひとつとして使われていた。
いまではもう、これらの言葉にいつどうやって出会ったのか覚えてはいない。
でも、いま読んでも、やはりこの短歌もこのフレーズもいいなと感じる。感性は変わってないみたいだ。
こんなのもあった。
川端康成、としか書かれていないけどどの本にあったフレーズなんだろう。いまとなってはわからない。女性の言葉遣いだし、なにか小説の中のセリフだろうか。
川端康成の綴ったその「懐かしさ」を、わたしも知っている。
言葉は残る。
そして、思いも言葉に宿ってゆく。
その人の言葉が、遠い遠い先の自分をいつか励ますということもある。
・・・
大切な人が悲しみのなかにいるとき、自分にはなにができるのだろう、と立ち尽くすことがある。
できることはないのかもしれない。
でもその大切な人が悲しみのなかにあることを思い、わたしもまた悲しみ、なにもできなくてもその人の隣にいたい。
遠く離れていたとしても、心の隣に座っていたい。できればそっと背中をなでてあげたい。
そんなことを思う今日で、頭痛はいつしか消えている。