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「将来の夢は…」という名の呪縛から救うのは、私たちだ

「将来の夢は…」という名の呪縛

子供の頃からよく聞かれる「将来の夢はなに?」という問い。

この問いは良くも悪くも強い意思決定を強いられる言葉だと思う。

将来の夢ややりたいことがコロコロと変わることに対して、ポジティブなイメージを持たれることは少ない。

なにもかかわらず「将来の夢は?」と聞き、それに導くようサポートしたりする。とても良いことなのだが、私のように「トレーナーになる」という意志を固くもってしまったが故、苦しんだ経験もある子も少なからずいるだろうと思うと、この言葉の威力は強い。


これからの時代、なにになってもいいし複数のことをやってもいい。

そんなことを子供達に伝えられるようにしたい。

美容師しながらカメラマンだってできるし、
花屋さんしながら週末パン屋さんだってできる。
今人気のYouTuberだってどんな職業とも紐づけられる。
学校の先生とトレーナーなんてこれからの時代、需要しかない。

だからこそ、私たち大人の言葉一つで子供がどう受け取るか変わるし、そもそも私たち大人がこのような思考を持っていないことには、このような発言も出てこない。

高校に行っても大学に行っても就職したとしても、
さまざまな道が広がっている。

学歴がそこまで重視される時代ではなくなり、個々のスキルやモチベーションなどの個人を重視される時代になり、私はとても生きやすくなった。

だからこそ「将来の夢はなに?」への子供たちの回答に対する大人の返答が重要になると私は思う。

「そのやりたいことに進むためにどういう道があるのか」だけでなく
もっと視野が広がり可能性が広がっていることを伝えられる言葉。
そして、やりたいことは変わってもいいし、その時になにをしたいか向き合うことが大切だということを伝えたい。



さて、

ここからは私個人の話になるので、興味のある方だけ読んでほしい。
「将来の夢はなに?」の言葉の威力について私が伝えたかったことは伝え終えたので、ブラウザボタンで戻るを押してもらうか、違う方の記事を読むなどしてnoteを堪能いただくか、ご自身の違う時間に割いて欲しい。

私が「将来の夢」という言葉の呪縛をどう受けてきたかを知りたい方は
ぜひ次の章へどうぞ!

「高校時代に出会ったトレーナーのような人に私もなりたい」

そんな気持ちを抱き、大学に進学し、大学4年間トレーナーになるために学び、現場に出て、卒業後もトレーナーとして2年働いた。

人のことをサポートして支えていくことが得意だと、だから将来はトレーナーになって働いて、選手やクライアントのことを支えて生きていく。きっとそれが私の生き方だろうと信じていた。

週6日の練習や試合などチームと共に行動し
選手のオフ日にはトレーニングメニューの作成や病院の付き添いなど
ほぼ週7日トレーナーとして大学生活の4年間を捧げた。
正確に言えば、引退をした4年生の12月まではそのような生活だった。

就職してからもクライアントのためにできることを尽くしていくよう、それに対して足りない部分を勉強して、支えることを生き甲斐としていた。
だから、労働時間とか全然見ていなかったし、何十連勤もしていたし、それが自分の正解だと思い込んでいた。

徐々に出る身体の不調

しかし、やっぱり生き物だからずっと働き続けるなんて無理な話で。

案の定、体の不調が出始めた。
全身倦怠感、頭痛、めまい、肩こり、PMSの悪化、そして睡眠障害。
お酒を飲まないとストレス発散できない気になって、あのままだったらアルコール依存症になっていたかもと思うとゾッとする。今なら冷静に客観視できるけど、自分がその真っ只中にいると自分のことなんて気にかける余裕がなかったりする。

それでも接客中にできない事務作業がたんまりと溜まっていて、職場で寝泊まりする日もしばしばあった。この頃から限界がきていたのかもと今はそう思える。


体調不良の原因は

自分の体調が優れなくなった原因はいくつか思いつく。

連勤&残業による労働時間の超過
入社1年目や2年目には荷が重い業務の数々
人と接触することでの気疲れ

3つ目はスピリチュアル?と思われるかもしれないけど、
パートナーストレッチを提供する店舗で、相手の苦労や悩みなどの話を聞きながらストレッチをすることも多く、たった1人のストレッチを行っただけでどっと疲れが溜まることが多かった。
原因はわからないけど、自分とは合わない気をもらった?とか影響を受けた?とかそういうものだと思っている。これは本当に人に伝えるのが難しい…!


転職した後の話

トレーナーを続けてきて、心身ともにぎりぎりのところまできていた時、
タイミングよく転職の機会をもらった。

スポーツ関連の仕事ではあるがトレーナー業界とは距離を置く形の転職となった。働き方も変わり、上司にも恵まれたおかげで体調も少しずつ回復していった。

人の身体に直接触れたりする業務がなくなり、
接触による気疲れをすることが無くなった。

転職後の仕事にて気づく価値観「高校生の私を救いたくて、私はトレーナーになった」

子供にスポーツを指導する仕事をする中で、自分の価値観が少しずつ変わっていく。

自分はトレーナーになりたいと思ったのは自分の天職かもと思ったから。人のことをサポートすることが得意でプレーヤーよりもサポーターでありたいと思ったこと。
高校時代に出会ったトレーナーさんみたいに私もなりたいと思ってから、ひたすらトレーナーになると思って突き進んでいった。

「大学はトレーナーになりたいと思い、それだけを目的に大学を決め、4年間を捧げた。大学の学費も、時間も全て捧げた…」
と思ってトレーナー業界から離れることに抵抗を感じていた。だから、就職してどれほどの環境でもこの『トレーナー』という立場から離れたくない、と思っていた。

でも、私がトレーナーになりたいって思ったのはなんでだろうとふと考える時があった。人をサポートすることが好きだから?その勉強が面白いから?どちらも違う気がする。

原点を辿ると、
プレーヤーとしては芽が出ず、高校でもプレーヤーとして上に行きたいと思えず、それでも部活をやりたいがために高校を選んだから他にやりたいこともなく、どうしようか迷っていた。
そんな時にトレーナーに出会った。
そのかたは一人一人をちゃんと見てくれて、レギュラーにもならない端くれの選手である私のこともちゃんと見てくれた。そして私の良いところを褒めてくれた。私はそれに救われた。だから私もそうやって苦しい人を救える人になりたい。それの手段の一つとして、トレーナーを選んだだけだった。

そしてトレーナーで現場を踏む上でも、トップ選手を育てたりサポートすることはそこまで興味がなかった。どちらかというと自分の高校時代と同じように、レギュラー選手ではなくとも一人一人の良い点を見てそれを活かせるようにサポートする方が好きだった。


そう、
トレーナーはただの手段。

本当の軸は『人の良いところを見つけて、その人の良いところを引き出すこと』だったのかもしれないと気づいた。

「将来の夢は?」の呪縛を解き、根底にあった自分の軸を見つけることができた。自分の軸というものは、きっと余計なものを削ぎ落として削ぎ落として見つかる物だと思う。

だからこそ探求することは止まらないと思う。
日々探求を続け、あの頃苦しんだ私を救って、今の自分がより生きやすくなるために、そんなことをしていこうと思う。

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