自分が"バイセクシャル"であると気づいたら息ができた。
わたしはなにものなのか、が発端
男っぽい私
女っぽい私
どちらともない私
いろんな自分が存在しており、
どれもカテゴライズできないと苦しんだ経験がある。
女性の友人は病院で「ママさん」と呼ばれることに抵抗感があるという
選択的夫婦別姓制度が導入されないと結婚はしないという友人もかなり多い
ゲイやレズビアンの友人は、性を通して見られることが多いらしい
自分が何者であってもなにかしら苦しいと感じる世の中だが、私の苦しみと気づきを記していこうと思う。
自分のセクシャルとは
自分自身の"性(セクシャル)"をどう捉えてる?
それは自分の中で決めることだし、
自分が決めていいことだと思う。
私は身体機能的には女性の機能を持っているし、
全体的な外見面も女性寄りである。
しかし、幼少期から男性的な面を感じることは何度もあった。
それに対して「前世は男だったと思う」と女友達にふと口走った。
必死に自分は"普通"だとカテゴライズしたかった
小さい頃から友達の相談をよく受ける子だった。
その相談の中には、彼氏や好きな異性に対する愚痴も多く混じっていた。
「○○にこういうことされた」
「○○にひどいこと言われて悲しい」
なぜ、もっと大切にできなんだという相手への怒りと同時に「そんな男よりあたしの方が幸せにしてあげられるよ」と冗談半分で口にしていた記憶がある。(今思えばそんな恋愛が簡単だったらいいのにと思うが)
しかし、この感覚は"わりと普通"だと思っていた。
「男の子っぽいけど、こう思うのはまぁ普通の方だよね」と当時のセクシャルマイノリティについて無知な自分は自分を"普通"というカテゴリーに入れたがっていたんだと思う。
"普通"ではないと、学校では居場所がないから。
私は"普通"だ、"普通"でいようと言い聞かせてきた。
その一言で全てがつながった。
先日、友人と話している時に
友人が「小さい時って女の子同士で腕組んだりするじゃないですか、あれ嫌いだったんですよ〜」と言った。
あたしはというと、腕を組むのも抱きつくのも全くもって平気だった。
そして、「あたしの方が幸せにできるのに」エピソードを話したところ、
「へぇ、私のバイの友達も全く同じこと言ってました!」と発言をした。
「女の人にはこうで、男の人にはこう…ていう感じで自分の立ち位置?みたいなのが違う的なこと言ってました。」
その瞬間、全てがつながったように感じた。
あ、私だ。
過去の恋愛は異性も同性も
過去に同性のとある子と恋愛をしていたこともある。遠距離だったので深い仲まではいかなかったが、もしかしたらあの時の立場が違ったらきっとその子と恋愛していたんだと思う。
しかし、異性を好きにならないというわけではない。今までの恋愛経験は異性相手のものもある。
恋愛感情もそうだが、
異性に対する私と同性に対する私って
少し違うと思う。
相手が違うんだから当たり前と言われるかもしれないが、それを踏まえた上でも違いがある。
それも、友人曰く「バイセクシャルの友人も同じことを言っていた」そう。
不安と恐怖を胸に
今回の気づきと自覚をしたことで、なぜ私がジェンダー関連の問題やニュースに関心が高いのか、今までその理由がわからなかったがやっと分かった。
自分が当事者だったからだ。
そんなポジティブな気づきの裏に実は不安もある。
今回、正式なカミングアウトをソーシャル上で行ったが、ここまでくるのにとても時間と気合が必要だった。
社会人として働いている1人として
パートナーがいる1人の人として
自分で言葉にすることに重みと責任感を感じている。
正直、まだ不安も恐怖もある。
自身が"バイセクシャル"だという認識をしたことによって自分自身が救われたような…
とても気持ちが楽になって呼吸がしやすくなった、世界の色がより鮮明になった、そんな気がした。
これから自分がもっと自分らしく生きていくために今回のnoteは必要不可欠だと思った。
書いているうちに分からなくなって何度も書き直した。書き直すたびに「本当にこの言葉でいいの?」と不安が増した。
やっと、ええいこれでいっちゃえ!
となるまでのnoteを書き上げることができた。
そして、これは私からのお願い。
性のフィルターを通して見られるのは
私が私でなくなるような感覚に陥るから
どうか、バイの"のの"ではなく、
のの自身を見て欲しい。
不安も恐怖も拭えないけど
今の自分が一番好きだから記して良かった。
そんなカミングアウトのnoteでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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