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自分の男性的なところを認めたら生きるのが楽になった。

「多分、前世は男だったと思う」

ふと女友達に対して、そんなことを口走った。

今思えば、たくさん思い当たる節がありすぎた。
・相合い傘をするなら必ず傘を持つ
・車道側を歩く
・荷物を複数持っていたら、持つのを手伝う
・食事の席では手前の席に座る
・寒そうにしていたら、自分の上着を貸す
などなど。
困っている女の子がいたらやっている行動だ。

この行動は、私自身を心地よくするものであり、
楽しんで行動している。

ただ、女の子に対してのみにこれは発動される。


ということは、だ。
異性に対しては、
自分の性別が『女』だと理解している。


しかし、同性に対しては
自分の性別が『女』か『男』か
どちらかは分からなくなっている。


私の”性”は男か、女か

身体的に女性の特徴とされているものには当てはまる。
自分自身も”体の性”(生物学的性)は女であると自覚もしている。

自分のことは女性だと認識をしている。
”心の性”(性自認)も女性だ。

好きになる性別も今の所は異性のみなので、
“好きになる性”(性的指向)も女性側に寄っている。

私はスカートも好きだし、化粧をすることも好き。
女性的な服装をすることも好んでいるが、キュートなデザインには抵抗がある。
“表現する性“(性別表現)は中立もしくはやや女性寄りだろう。


この表現にもあるように、
性別は「女である」「男である」と白黒はっきり決められるものではない。

あくまで人間という生物として
『女性に寄っている』ということなだけだ。



幼少期はどちらかというと女の子の方が好きだった。

よくある話だと思うが、
小さい頃は女の子の方が好きだったと思う。

女の子を守る方が心地よかったし、
男の子に泣かされた女の子を見ていると
「私が男だったらよかったのに」
自分の性にモヤモヤを抱いていた。

いや、むしろ今もたまに思う。笑


今ある自分の”性”を受け入れたら生きるのが楽になった

先程の事例のように、自分の性別に戸惑うことはたまにあった。

自分は女か、男か。
そんなことをごくたまに悩んだ。

そんな時、LGBTとスポーツに関するセミナーを受講した。
きっかけはスポーツに関与しているからだったが、そのセミナーで語られたLGBTの基礎知識の中でとても印象的だったのが、

『性のあり方はグラデーションです』
という一言。

性のあり方は一人一人ちがっていて、
それが個々である。

だから、キュートな服装が苦手でも
女の子を守りたいという認識も、
全て自分の性のあり方 なのだ。


女でも男でもあってもいい。
日によって女性的な部分が多い日もあるし、 
男性的な部分がある方が楽な日もある。

それら全てひっくるめて自分である。


私よりもいろんな思いをしている人がいるかもしれない。
私のこの悩みは、その人たちにとって
ちっぽけなものに見えるかもしれない。

でも、「そんな悩みを抱いたことがない」という
そんな人たちの目に少しでも留まれば、
少しでも興味を持ってくれれば嬉しいなと思いながら書きました。


全ての人が自分の”性”に誇りと自信を持って
生きていけることを願って

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