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好きなのにできない

もともとは音楽を聴いたり、アート鑑賞をしたりすることが好きなのだけど、何かを鑑賞する、ということは私を持ち出すことでエネルギーを使う。
本当は好きなはずなのに、それができない。時間的な余裕はあるのに気持ちの面で。暇な分いろいろ考えちゃうだけなのかな。暇なのに臆病になってるだけなのかな。
自分を持ち出すこと、深く感じることを避けてしまう。
かといって作品を見て何も感じない状態もとてもつらい。自分が分からなくなる。どこまでも自分しかなくてグロテスクな世界。ちょっと呆れてる。仕方ないけどね。ねえ、そんなことないかな?
今はきっと余裕がないだけだよ、という優しい答えを用意して、でも本当にそうなのかな。
こんなふうに考えられるようになったのは少し余裕ができたからだよね、って前向きに捉えよう。

ただ寝てるしかない状況からすこし前進した今、触れられるアートは前から知ってるもの。知ってる絵や映像、曲。一度解釈して自分のものになった作品は過度に自分を振り回してくることはない。適切な距離を保っていい感じに癒しをくれたり、平時とのずれを感じさせてくれたりする。そんな作品たちにありがとう。

余裕がなくてつらい、みたいなことをツラツラと書いたけど、これはほんの一部で、私総体としては毎日笑ってるし、楽しいこともあるし、おいしいご飯を食べてる。
だけど、好きなことに没頭して、あー、この表現刺さるー!とか、うわ、想定外!みたいに感情を動かすことが今はできない。不全感がまとわりついている。そうしてしまうと、たぶん今の自分がめった刺しになって混乱して死んじゃうかもしれない。
元気いっぱいの私になりたい。好きなものを思いっきり楽しめる私になりたい。推しのことを考えて気持ちがいっぱいになって泣いたり笑ったりしたい。
ねえ、あなたは余裕がないとき、どんなふうにアートに触れていますか?どうやったら自分を満たしてやれますか?


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