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塗田一帆『鈴波アミを待っています』ぼんやりした感想

 インタネットキャバクラ、ペープサイドと揶揄されながら、勢力は膨らみ続け、Vtuberに関連した書籍や楽曲、創作物はあとを絶たない。そもそも、配信活動がメインとなった「Vtuber」は既存の一大コンテンツである「アイドル」に類似していて、目鼻の形がよく見える距離にいる。身近な存在は親しまれやすく、愛されやすい。廃れずに勢力を伸ばし続けているのはアイドルとの結びつき、それと仮想世界にありながら現実世界に干渉し、偶像と信者双方にとって都合のいい曖昧な存在だからだろう。

 都合のいい曖昧な存在であるからこそ僕たちは夢を見ることができる。ぼやけた境界線で見る夢は甘美で恍惚で、長く長く身を委ねていたいけれど、夢はいつか覚める。平等にすべての人に訪れる覚醒。遠くから迫る灰色雲。瞼の裏できらめく赤い稲光。

『卒業・引退・失踪』Vtuberに関わっていれば避けて通れぬ終末。すくみ、無力感に絡め取られ、黄金時代に身を寄せて暖を取る。つかの間の回想で温められるのは手のひらだけで、さめざめと泣く背中は霜がつく。
 洞穴の奥底で美しい思い出を抱きながら眠る。身体の色んな部分が寒さで麻痺していく。やがて何も感じなくなって、煙草に火をつけるための熱だけが残る。

 主人公は洞穴で一心不乱に叫び続ける。木霊する遠吠えを疎ましく思う者もいる。それでも叫び続ける。爪を土色に染めて、滴る汗がまつ毛に引っかかって落ちる。取り繕うこともせずに叫ぶ。思い出を薪にして炎を燃やす。消えない炎を眼に宿して、四つん這いになって駆け回る。醜悪な姿のまま意思だけが気高くオレンジ色に輝いている。

『鈴波アミを待っています』では多くの媒体で見受けられるような滑稽な「信者」の姿が描かれている。身につまされる場面でありながら「滑稽」とと思うのは、自虐精神が極まっているせいだと信じたい。
 僕自身も彼と同じ境遇に陥ったことがある。他人事とは思えないシーンの連続で思わず頁をめくる手を躊躇してしまう。きっと、僕と同じように本書を1度閉じた人は多いのではないか。良くも悪くもリアルな感触が残る世界での話。感情を切り離して読むのはもったいない。しかし、つらい記憶は思い出したくない。ジレンマ。

 本書の結末はまさに「うたかたの夢」だ。愛と勇気が勝つストーリーは読んでいるこっちが恥ずかしくなるぐらいで「こんなことがあるわけがない」と何度も思う。だけど、一蹴するのは簡単だ。「こんなことがあったらいいな」と希望を抱いて本書を読み進める。
 Vtuberを生きる世界を覗き見る人たちは触っておいたほうがいい1冊だと思う。きっとこれからVtuberを題材にして世に現れる作品たちは、ここまで潔癖じゃない。だからこそ、喉越しのいい本書で後に備える必要がある。酸いも甘いも知るために、下地はしっかりと作らねばならない。


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