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そのまま見るか、意味づけするか

9月中旬からアメリカのサンディエゴに留学をして5ヶ月が経とうとしている。語学学校での時間が留学生活の中心となっている。語学学校での授業では、生徒が自由に出入りしたり、先生も含め全員が何か食べたり飲んだりするのが当たり前となっている。日本の学校では、私のゼミ以外でそのような光景はなかなか見られないのでとても新鮮であった。私が通う語学学校は6週間おきにテストがあり、その結果に応じてクラスが変わっていく。これまで5人の先生の授業を受けてきたのだが、先生によって授業のスタイルが全く異なる。それによってクラスの雰囲気にも違いが生まれる。最初の3人の先生には特徴の違いを特に感じた。

最初の先生

私の最初の先生は、50代のアメリカの東海岸出身の女性だった。語学学校で教える以外に不動産関係の仕事もしている。彼女の授業は単語と文法以外は教科書を使わないスタイルだった。その代わりにプレゼンや動画を撮影するなどのプロジェクトが週に3回ほどあった。特に印象的だったのは、バニラエッセンスを実際にバニラビーンズから作って、その工程をレシピ動画風に撮影するプロジェクトだ。レシピやバニラビーンズの歴史など自分で調べ、材料も自分で調達し、撮影にあたった。家庭科の授業のようだが、英語を学ぶための手段としてこのような方法を用いているのだと感じた。インターネットで調べることで英語の文章を読み、アメリカのスーパーマーケットでの買い物を実際に体験し、作る工程を英語で伝える。インプットからアウトプットまで実生活に基づいたものになっていた。教わるというより実践して学ぶスタイルに初めは慣れず、全然英語も話せなかったためとても苦戦していたが、英語という教科を学ぶのではなくコミュニケーションをするための手段を身につけているのだと感じられた時間であった。

2人目の先生

2人目の先生は、日本人の20代の男性だった。まさかアメリカに来てまで日本人に英語を教わると思っていなかったというのが正直な感想だ。彼のスタイルは型にハマったものだった。授業は教科書の隅から隅まで準えて行われ、教科書のテーマに関連するプレゼンやポッドキャストなどのプロジェクトを週に1回した。教科書の穴埋め問題の答え合わせの際に、ある生徒が習った単語ではないが文章としては合っている答えを言った。それに対し先生は、“教科書に載っていないから“と間違いにした。またプロジェクトとして3分以上のポッドキャストを作成することになった。あるチームは内容が面白いが2分30秒のものを発表し、あるチームは内容は全然詰まっていないが3分以上のものを発表した。先生はそれに対し時間という目に見える評価基準のもとで、前者にはBの評価をつけ、後者にはAの評価をつけた。ルールとしては明確である。しかし私はこれらに対してモヤっとした感情を抱いた。最初の先生の時に感じたコミュニケーションの手段としての英語とはかけ離れている気がした。意味があっていればフレキシブルに正解がいくつあってもいいと思うし、多少ルールから逸れても内容がよければ良いプロジェクトとして良いものだと思う。○や×、AやBといった点数や評価は学ぶということに対するモチベーションに関わることが多少なりともある。ルールは必要な時もあるが、時と場合に応じて柔軟な対応をすることもやはり重要なのだと感じる時間だった。

3人目の先生

3人目の先生は20代のカリフォルニア出身の女性だった。生徒と年齢も近く先生と生徒というより友達のような距離感で授業が展開された。教科書に沿いつつ、独自のワークも取り入れ、1人目と2人目の先生のちょうど中間という感じだった。特に印象に残っているのが、授業1コマまるまる使いNetflixの『Wednesday』を全員で見て、その次の授業で『Wednesday』についてグループで自由にポッドキャストを作って発表したことだ。まず題材が最近Netflixで話題になったものを使用し、生徒たちが興味を持ちやすいテーマで私自身とてもプロジェクトに取り組むのが楽しかった。またポッドキャストの内容も絶対にこれは入れないといけないというものはなく、グループによって見た感想を話したり、出演している俳優について話したり、監督の他の作品について話したりと多種多様であった。同じものを全員で見たのにも関わらず様々な切り口があり、他のグループのものを純粋に面白いと思いながら聴くことができた。授業として自然に楽しんでいる自分がいた。同じ学習するという行為でも、工夫によって向き合う姿勢が変わるのだと感じた。今回の場合、自分の興味関心や柔軟にできる環境が前向きに取り組むことに繋がった。しかしこれは教わる時にだけ当てはまるのではなく、自分で勉強をするときにも当てはまると思う。プラスにするのもマイナスにするのも、やり方次第なのだと感じる時間だった。

同じ教科、違う先生

大学ではそれぞれの教科をそれぞれの先生が担当していて、単純に比較することができなかった。しかし語学学校に来て、英語という1つの教科を様々な先生から教わる。それぞれの方法を経験することで、ただ単にこれは好き、嫌いというのではなく、良い点も悪い点も自分にとっての意味づけをすることで毎回新たな学びがある。それらの学びは英語を学ぶことにだけではなく、自分の今後にも繋がることがあると感じた。英語だけを学んでいるはずなのに、意味づけすることによってプラスアルファになっていることが面白い。残りの留学生活でも、英語を学習する中で物事に対しての意味づけと日常生活への落とし込みを繰り返していきたいと思う。

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