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宝物かもしれない

子どもが生まれてから、母親と会う機会が多くなった。
私は愛されずに育ったけれど、別に母親と仲が悪いわけではなく、大人同士になってからは良い関係を築けているように思う。

私と母親は親子の相性は悪かったし、そうなってしまったのは環境の複雑さや、親が親になりきれていないが故であり、別に人として嫌いなわけではない。
幼い私は問答無用で自立を求められ、ただただ寂しかったけれど、成長して物理的にも自立してからは、母親とは友達のようになれたと思う。

そして時が過ぎて私に子どもが生まれ、母親はお婆ちゃんになった。

あっさりした性格の母は初孫だからと特別猫可愛がりはしないけれど、わりと頻繁に会いに来てくれるし、息子に会うと嬉しそうにしている。

息子も食べられるお惣菜を作ってきてくれるし、息子の大好きな車のおもちゃを買ってくれるし、手を繋いで一緒にお散歩してくれる。
息子にとっていいお婆ちゃんだと思う。

お婆ちゃんが帰るとき、息子は毎回泣いてしまう。
私はいつもその姿を目に焼き付け、何度も思い出すようにしている。
その涙は何よりも真実だと感じるから。

私は、今までずっと愛されなかったコンプレックスを抱えていて、その原因である親を多少恨んでいたけれど、息子がお婆ちゃんと別れたくなくて泣く姿を見て、今まで抱えていた孤独がすーっと晴れていくような、なんだかちっぽけなことで悩んでいたような、自分が本当の意味で大人になって親から完全に離れ、そして自分自身が精神的にも親になれたような気がしている。

少なくとも今、母親が息子にとっていいお婆ちゃんであるならば、それが全てだと思える。

息子がお婆ちゃんと別れる時に流す涙は、私が幼少期に母親から傷つけられた傷跡を癒してくれる。とても不思議な感覚。

これから息子も成長して、母親も歳をとり、なかなかお婆ちゃんと遊ぶことも難しくなるし、こうやって母と私と息子の3人で出かけられるのも今だけだな、と思う。

こんな時間はきっとすぐになくなってしまう。

無理をして休んだ平日に、母親と息子と一日中過ごし、母親を見送って、はしゃぎ過ぎて泥んこの息子をお風呂に入れて寝かしつけ、やり残した仕事と家事を終わらせ、くたくたになって眠りにつくときにふと、今日母親と息子と3人で過ごしたこの時間は、宝物なのかもしれない、と思う。

息子の人生の始まりに、母親の人生の終盤に、たくさんの幸せな時間を与えたい。

#コラム #母親 #子育て #母と子

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