あなたはきっと知らないけれど。
母が毎日楽しみにしていることがある。
名前も知らないおじいさんのお散歩タイムだ。
キッチンの窓から、遠くのマンションの屋上を
ゆっくりゆっくり散歩する姿が見えるらしい。
「うん、今日も元気」
おじいさんを見るとなんだか元気を分けて
もらったような気持ちになるらしい。
朝ごはんの支度をしながら、キッチンの
小さな窓から毎朝エールを送るファンの
存在を、おじいさんは知らない。
◆
わたしにも以前、憧れのおねえさんがいた。
きれいな青色のリュックを背負い、
通勤電車の中でそこだけぽっかりと
やわらかい空気が流れているような
雰囲気の方だった。
おねえさんは人の流れが読めるのか、
電車が駅でドアを開ける瞬間、
ざあっと吸い込まれて行く人の群れを
すいすいと泳ぎ、あっという間に
階段までたどり着いてしまう。
あの人の生き方そのものなんじゃなかろうか。
誰にもぶつからず、足を止めることなく、
おだやかに静かに確実に、
自分の目的地にたどり着ける才能。
(・・・・しばらくここで待つか)
と人の波を前に怖気づく自分をよそに、
おねえさんはためらわず我が道を進んでいく。
ある日、わたしはおねえさんのうしろを
くっついていく作戦に出た。
(おお!人とぶつからない!!)
おねえさんは人の逆を行くのがうまい。
人が動いたあとの一瞬の空間を
渡り歩いて、わたしも進む。
おねえさんの青いリュックを見ながら、
背中を追っていく。
この人はきっと、職場でもこんな風に
生きられるんだろうなあ。
当時、一瞬たりとも気が抜けないハードな
職場で生き抜くのに必死だったわたしには、
そのうしろ姿がまぶしかった。
おねえさんに会える朝の時間は、
わたしに知恵を授けてくれるようだった。
◆
学校に行かなくなった頃、図書館によく通った。
「夏休み明けも図書館はあなたの居場所」
なんて言ってくれる時代ではなかったのに、
平日の午前中に訪れても何も聞かれなかった。
片っ端から「名著」「ベストセラー」を
読み漁っていたわたしに、ある日
職員のお兄さんが声をかけてくれた。
「〇〇はもう読んだ?」
有名な作家の作品だった。未読だと伝えると、
おもしろいよ、読んでみてと笑った。
貸出しカウンターのおっちゃんは、
「さすがやなあ!これも読んでるんや!」
と、時々褒めてくれた。
職員のおねえさんから、
「図書館に無い本だから、貸してあげる」
と、ご自身の好きな本を渡されたこともある。
家に帰って母に話すと、
「図書館で個人所有の本を借りるとは」
と、笑われた。
おねえさんは結婚して退職されるまで、
時々、本を貸してくれた。
◆
月曜が来るのが楽しみで仕方ない職場でも、
日々はそれなりにいろいろあった。
自分だったり、誰かだったりをすごく
嫌になる時も、その人はいつもどこか違う
世界で根を張って生きていて、わたしにも
遠い世界の風を運んで来てくれた。
出張先の応接室にあった
「ご自由にどうぞ」のあめ玉は
「パッケージが可愛いかってん。山分け」と
スーツのポケットから、
喫煙所の近くの木にとまっていたという、
「てんとう虫」は握りこぶしから、
通勤途中の公園で拾ったという、
「どんぐり。帽子つき!」は黒のリュックから、
わたしのデスクに転がされた。
隣で聞いていて胸がぎゅっとなるような
嫌味や悪口を言われても、どこ吹く風で
いつもにこにこしている上司だった。
その姿を見ると自分が小さく思えて、
「あほらし。この人と楽しく仕事しよう」
と、切り替えるスイッチになった。
上司とわたしとのやりとりを見ていて、
「ほんまに、小学生みたいな人やねえ」
と、微笑んだ人がいた。
そして、同時に教えてくれた。
「あの人は、他の人が嫌がるような
大変な仕事をしてる奇特な人なんよ。
ぼくは、よぉやらん」
そう言って頷いた人は、職場でいちばん
偉い人だった。
◆
夏休みがもうすぐ終わる時期になると、
とっくに成人したいまになっても、
なんだか心許なくなることがある。
広い、広い草原の中で、ぽつんとひとり
たたずむような気持ちになる。
そんな時にも、ふと思い出す。
この草原のどこかから、
見ている人がいるかも知れない。
ああ、今日もいてくれてよかった。
遠くから、そんな想いを届けて
くれているかもしれない。
いつか言葉にして聴けるまで、
耳を澄まして待っていよう。
そして、言葉や行動にして届けられる人に、
わたしもなろう。
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