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あなたはきっと知らないけれど。

母が毎日楽しみにしていることがある。
名前も知らないおじいさんのお散歩タイムだ。

キッチンの窓から、遠くのマンションの屋上を
ゆっくりゆっくり散歩する姿が見えるらしい。

「うん、今日も元気」

おじいさんを見るとなんだか元気を分けて
もらったような気持ちになるらしい。

朝ごはんの支度をしながら、キッチンの
小さな窓から毎朝エールを送るファンの
存在を、おじいさんは知らない。

わたしにも以前、憧れのおねえさんがいた。

きれいな青色のリュックを背負い、
通勤電車の中でそこだけぽっかりと
やわらかい空気が流れているような
雰囲気の方だった。

おねえさんは人の流れが読めるのか、
電車が駅でドアを開ける瞬間、
ざあっと吸い込まれて行く人の群れを
すいすいと泳ぎ、あっという間に
階段までたどり着いてしまう。

あの人の生き方そのものなんじゃなかろうか。

誰にもぶつからず、足を止めることなく、
おだやかに静かに確実に、
自分の目的地にたどり着ける才能。

(・・・・しばらくここで待つか)

と人の波を前に怖気づく自分をよそに、
おねえさんはためらわず我が道を進んでいく。

ある日、わたしはおねえさんのうしろを
くっついていく作戦に出た。

(おお!人とぶつからない!!)

おねえさんは人の逆を行くのがうまい。
人が動いたあとの一瞬の空間を
渡り歩いて、わたしも進む。

おねえさんの青いリュックを見ながら、
背中を追っていく。

この人はきっと、職場でもこんな風に
生きられるんだろうなあ。

当時、一瞬たりとも気が抜けないハードな
職場で生き抜くのに必死だったわたしには、
そのうしろ姿がまぶしかった。

おねえさんに会える朝の時間は、
わたしに知恵を授けてくれるようだった。

学校に行かなくなった頃、図書館によく通った。

「夏休み明けも図書館はあなたの居場所」
なんて言ってくれる時代ではなかったのに、
平日の午前中に訪れても何も聞かれなかった。

片っ端から「名著」「ベストセラー」を
読み漁っていたわたしに、ある日
職員のお兄さんが声をかけてくれた。

「〇〇はもう読んだ?」

有名な作家の作品だった。未読だと伝えると、
おもしろいよ、読んでみてと笑った。

貸出しカウンターのおっちゃんは、
「さすがやなあ!これも読んでるんや!」
と、時々褒めてくれた。

職員のおねえさんから、
「図書館に無い本だから、貸してあげる」
と、ご自身の好きな本を渡されたこともある。

家に帰って母に話すと、
「図書館で個人所有の本を借りるとは」
と、笑われた。

おねえさんは結婚して退職されるまで、
時々、本を貸してくれた。

月曜が来るのが楽しみで仕方ない職場でも、
日々はそれなりにいろいろあった。

自分だったり、誰かだったりをすごく
嫌になる時も、その人はいつもどこか違う
世界で根を張って生きていて、わたしにも
遠い世界の風を運んで来てくれた。

出張先の応接室にあった
「ご自由にどうぞ」のあめ玉は
「パッケージが可愛いかってん。山分け」と
スーツのポケットから、

喫煙所の近くの木にとまっていたという、
「てんとう虫」は握りこぶしから、

通勤途中の公園で拾ったという、
「どんぐり。帽子つき!」は黒のリュックから、
わたしのデスクに転がされた。

隣で聞いていて胸がぎゅっとなるような
嫌味や悪口を言われても、どこ吹く風で
いつもにこにこしている上司だった。

その姿を見ると自分が小さく思えて、
「あほらし。この人と楽しく仕事しよう」
と、切り替えるスイッチになった。

上司とわたしとのやりとりを見ていて、
「ほんまに、小学生みたいな人やねえ」
と、微笑んだ人がいた。

そして、同時に教えてくれた。

「あの人は、他の人が嫌がるような
 大変な仕事をしてる奇特な人なんよ。
 ぼくは、よぉやらん」

そう言って頷いた人は、職場でいちばん
偉い人だった。

夏休みがもうすぐ終わる時期になると、
とっくに成人したいまになっても、
なんだか心許なくなることがある。

広い、広い草原の中で、ぽつんとひとり
たたずむような気持ちになる。

そんな時にも、ふと思い出す。

この草原のどこかから、
見ている人がいるかも知れない。

ああ、今日もいてくれてよかった。

遠くから、そんな想いを届けて
くれているかもしれない。

いつか言葉にして聴けるまで、
耳を澄まして待っていよう。

そして、言葉や行動にして届けられる人に、
わたしもなろう。


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