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オンナの哲学 -上下関係は必要か

学生時代、軍隊かと思うような厳しい上下関係の部活動に身を置いていた私だが、そのイデオロギーに洗脳されることは無かった。

たかが年齢が1、2歳違うだけで、なぜこんなに偉そうなのかが全く理解できなかった。技術的にも人間的にもたいしたことないのに、ちょっと生まれたのが早かったというだけで尊敬されて当たり前、と信じて疑わないことが不思議でならなかった。

初めはただただ反発していた。私はまだ幼く血の気も多かったので、練習の時は先輩の“胸を借りる”ふりをして無茶苦茶に向かっていき、ミーティングでは正論を吐いて噛みついていた。

しばらくして少し大人になり、見えてきた。
みんなの前では理不尽に偉そうなことを言っていても、帰り道や飲み会の場になると、とても優しく情に厚い人たちだった。当時の主将はとても厳しくいつも怖かったが、実は立場上厳しい事を言わなければならないことが苦痛で、いつも胃を押さえながら話していた繊細な人だったと後から聞かされた。生意気な私に対して、なお抑えつけようとしてくる先輩はほとんどいなかった。私のことを世間知らずな元気な後輩、と可愛がってくれる人たちばかりだったのだ。
人としてたいしたことない、などとバカにしていた自分を恥じた。

けれどもそれで納得したわけではなかった。この優しく素晴らしい先輩たちは、内心疑問に感じていただろうに「そんなものだから」と、厳しい“上”を演じていたのだから。それには全く共感できず、私はその後も考え続けた。健全な上下関係とは何か、あるべき相互尊敬とは何かについて。

後輩ができ最上級生となって“上”の立場になったり、社会人になってまた一番“下”になり。また後輩や部下ができて“中”になったり。様々な立場、様々な状況を経験して思い至った。

年齢が上であるというだけで本当には尊敬されない。
年齢を人としての器の大小と勘違いしてしまうことは、とても多いから。
経験豊富というだけでもまだ弱い。
何を経験したとしても、そこから学んでいなければ意味が無いから。

年齢や役職が上というだけで偉そうにしている人、権力を振りかざしている人はたくさんいた。一方、何がどれだけ上であっても、そんなことは意識せず誰に対しても優しく誠実に接する人もいた。年齢と経験を重ねたからこその思慮深さや知性に助けられた時、どんなにありがたかったことか。

逆に自分より年下であっても子どもであっても、その物事の本質をついた言葉にはっとさせられることがあった。初めて経験した事について、その目新しいものの見方やみずみずしい感性に感心させられることがあった。

人間関係を円滑に進めるために、年長者に対して礼儀正しく接することは必要だと思うが、同じくらい若者にも敬意を払うべきだと思う。
となると、年齢も経験も関係ないということになる。

そう、人間関係に本来、上下は無くていいのだ。
同じ人間同士、誰であってもお互い尊敬しあうべきなのだ。

こうやって突き詰めて考えてきたということは、私はそれだけ上下関係というものに囚われてきたのだと思う。
学生時代のそれがあまりに強烈だったから、仕方がないけれど。
これからは、“上下”という感覚を手放す方法を考えていきたい。

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