言葉は嘘をつく したがき

僕の嫌いな言葉、嫌う単語がある。

いっぱいある。

僕は偏見や差別はしないとは言わない。
ごめん、また何度も念を押すけど
差別も偏見もあるから、差別してしまう偏見の目で見てしまうような人とは極力関わりたくないから避けるようにする。
これが今の僕の変わらない構え方。

自分が何者で、自分には何か特別な才や能力があるという欲、人間の弱さや本能本質的に共感や賛同されやすい言葉が大量生産廃棄されているのに。

それにまた喜んで「自称」が増える。
僕はそんな気持ち悪い有象無象であふれかえる社会が息苦しい。

今までの価値観の癖が反射的に、
そういった言葉を毛嫌いしているは分かっている。

自分が気持ちよく、狂信妄信できる。
狂酔できる対象物を見つければ、そこに自分の責任はない人が多い。

有名人なのか何か目立つ人が他人がそれを提示していれば、自分で解決や痛い思いや辛い気持ちの先で考えた訳でも無い。
その他人にその言葉や情報の責任を押し付けている人。

自分軸の人達を僕が嫌うのはこれだと思う。

自分は都合よく他人を利用しても、それが理解できていない。見えていない人は、自分軸で他人を利用している事が見えていない。

親が子供に対して、親の心子知らずというが逆も同じだ。
けれど、そこには親子、家族という事実がある。
血みどろの修羅場や骨肉の争いをするのも家族。
何度も何度も20年くらい言っているけど、馬鹿にされて笑われるけど
家族は聖域ではない。それは偽善で綺麗ごと。生身の人間同士の現実はそんな話にはならない。

けど親子だ。生まれて死ぬまでの責任や繋がりは切るのは避け続けるのはそう簡単では無い。

自分軸の人間は、人に感謝や、出逢いに恵まれてというが、少し違う。
赦されてはいないのだ。許されていない。
それは殺されていないだけで、許されていない事が多いのだと思う。
親子だから許されるような極論やその線を、他人にも違和感なく普通の顔をしてできるのが子供だ。
だから子供は自分のしている事や姿が見えていないうえで物言いをする。
そこに経験がないから、(経験は年齢に比例しない)子供の言い分みたいな主義主張が強化され続ける。その上でそこに都合や気持ちのいい言葉がさらに加われば、もう天下無双の完成だと思う。

みたいな感じで僕は自戒も込めて今を生きています。
今を生きるなんて偉そうなことは言えないけどな。

とりあえず、
自分を正当化する自己弁護、自論強化する為だけの言葉を探している。
そこに自分の正当性の保証人を探している。
そこに信憑性の責任を持たせてるのは、狂気だなと僕は思ってみている。

・・
・・

僕も最初は知らなかった言葉があった。

でも、今朝、ふと舞い降りた腑に落ちた出来事があった。

「その言葉があるから救われた人がいる」

そういう内容のメッセージをくださった人がいた。

・・

僕もそうだ。
ここで言えば、noteで書いている事で言えば
HSS型HSPとか、そうかもしれない。

いや、それより前から知ってはいた言葉だと思う。

エンパスも、確かこの4年や5年くらい前からの話だったと思う。

ちなみに「ヤングケアラー」という言葉と「ギフテッド」という言葉を人生で初めて言われたのもこの3年以内。

noteのタイトルに「僕はヤングケアラーギフテッドではない」と付けた記憶もある。
最近、資格を取る為にいったところでも言われた。
僕は否定した。

僕は仕事柄から、私生活の事も含めてなのか、人がどうしてそう思ったり見えるのか誤解されたくないから良く考える。違う事は違うと否定する。
否定しない方が良い事もいっぱいある。得する都合がいい言葉でもある。
けど僕は否定する。

全体的にそういった類の言葉を僕にあてはめて、
「大変ですよね」
「そういう方、今はたくさんいらっしゃいます」
「苦労してきましたね」
的な慰めも、僕はどこか空しく苛立つ。

僕をそういう存在にして労ってくる人がいるのに、僕は何も思っていない。

僕が嫌いなのは、音楽と似ているのかも。
(僕との会話の中で)その言葉や存在の敷居、ハードルを下げるな。
みたいな感覚なのかも。苛立つ部分が似ている。

話は脱線したけれど。

僕はそれらを流行り言葉や、自分を正当化させる免罪符のような言葉を嫌います。

それは新しい言葉が次から次に出るたびに、
「これは私かも」
「これ自分に当てはまるから」
と。

僕はそれは占い(スピリチュアル)の類と同じように見えてしまう。

自分に都合がいい言葉を、気持ちいい勝手な解釈で、自称何者かになる人たちが多すぎて、そこと関わったり向き合う事を、僕が苦しんでいたからです。

どうしてお前が苦しむんだと言われたら、

僕の周りにはそういう人が特に多かったのかもしれないのと。
そういう人たちと共存関係で生活をしていたからだと思います。

周りにメンヘラが多いと
「メンヘラ(笑)」
と言ってしまうようになると思います。
周りに心の病やトラブルでくるんでいる大変な人がいれば、その人たちの生活から心の病への意識を持つ事になります。
全員では無いと思うけど、それは偏見差別と言われやすい内容だと思う。

発達障害や、スピリチュアル的な、ここに並べると良くない気もするから不安だけど、例えばそのギフテッド的な意味合いの言葉も、僕からすれば、
「ああ、はいはい、またこの手のやつか」
「わかった、またこれね」
と心底嫌うのです。

でも、僕もここで散々書いています。

でも違うのです。
その人の言葉で腑に落ちたのは、

その言葉で救われる人がいる。
その言葉で救われた人がいる。
それで今を生きて、頑張っている人がいる。

という事。
わかっていなかったではなく、分かっている人たち、その中にひとり
僕の想いでの中に今日のエピソードが追加された話です。

これ貴重な事よ。

みんな、勉強や仕事でいろんな事があって、ごめんね、本当に色々あると思う。
けど、それを書いて残さないと、どれだけ好きな読書や音楽や映画の作品から感動や得る経験があっても、それって意外と忘れるし、自分にフィードバックできていないと思う。

自戒を込めて。

HSS型HSPとかも当時は書いています。

でも言葉を知って2年、あれから3年目。

世界で、医学用語としてHSPは存在し、理解、認知されていますけど。
HSS型というのは(ほぼほぼ)日本だけです。

僕の仮想敵が、「いや、世界でもHSS型を訴えている人がいる」「あの人も言っているから」と言われそうなので、ほぼほぼとしておきます。

僕は思いますけど、犯罪者やインターネット上SNSとかで何かしら非難やバッシングをされるような人たちが、「HSS型HSPです。HSS型だから」とそれを言い訳、免罪符に利用している事実を、この言葉を信じている人は拒否無視している、その矛盾のような子供の言い訳のような内容を僕が嫌っているのだと思います。

これも全部が全部とは言いません。

話は違うけど。10月のパブリックコメントもそう。

全員が悪い人間、悪者だとは言わないけど、僕から見れば8~9割の人間が嘘。グレー、犯罪、反社、異常者たちが必死になって叫んでるだけ。

残りの士業や専門家、日本でも社会的にも、完全に法令順守で仕事や生活をしている僕らもいる。

0か100にも疲れた。

でも世の中は声がでかい奴が勝つのではなく、声が煩いやつが 目立つ。
故にそれが正しくなくても誤解だとしても広く目立ってしまうのだなと思う。

今朝の忘れたくない下書き

昨日まで必死に記録しようとしていた事は忘れた。
昨日の夜、なんとか起き上がってパソコンに下書きでも書こうと思った。
けど僕は、そのままゴロンと横になり、携帯でネットを見ていた。
そんなもんだ。

人間なんて、偉そうに表面はしてても、実態はわからない。
僕はこんなダメな人間ですが、僕とは違い、努力や経験で修羅場や苦痛を乗り越えて嫌な事や逃げたい事から逃げずにやってきた人たちも居ます。

そういう人たちが、そういう人たちの為の言葉であって欲しい。
必要な人たちに必要な言葉があれば良いと思っている。

それは何でもそう。
僕の 何のために生きているのか もそう。
生き甲斐とか生きる意味みたいな言葉に踊らされて振り回されてるけど。

そうだ。昨日、これ思ったの。

執着。

録音してあるけど、僕は気になる事は気になって仕方がない人。

興味や関心や好きな事に夢中になるし異常な力も発揮させてしまう。

でも、悪い話ではなく、悪い時のあの一件の時みたいな事では無く

今は、何か気になって、気になって気になってどうしても手にしたくてどうしてもどうしてもどうしても、となるような事も。
美味しいモノ食べたいな、うまいもの食うぞ、って食に完全に自分が飲み込まれてる時も、そこで何を懸けてどれだけの時間やお金を使っても一番最高の物を、、、、と、異常な意地が生まれても、流しています。

どうせ、想定内だよ
どうせ、似たようなもん、同じようなもん。
何回も死ぬほど食ってきた。
死ぬほどの犠牲の上で食い散らかしてきた。
これから新しい事も出会いも発見も経験もするけど、するけどさ。

僕の中で、最高の瞬間に触れただけでも今は良しとするか。

なんか考え事が纏まらなくなったけど、仕事行かなきゃ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?