怒りを鎮めて、時が来たら、飛び立つ
昔見た事がある漫画がアニメ化されるらしい。
内容は覚えているけれど、そこまで流行るとは思っていなかった。
僕の癖、ネット徘徊。気が付くともう10年も前に書かれている記事。
僕が読んだのはいつだろうか。振り返って数えてみても遠いような近いような。何故って、ここら辺りを通りすがると気になっていつも眺めてしまうから。
何年も前に書かれた記事はいつかは削除されるのだろうか。
僕が好きだった景色はいつの間にか削除されていて、そこを通るたびに「あの時、ここに来たんだよな」と懐かしく思い出す。懐かしい思い出。
いつの間にか過去に好奇心、興味がなくなった。
あと「論評」なんて読むと、うざったく感じる。うんざりするの。
それに年表みたいな記録物を見ると、懐かしむ気持ちよりも、虚しさが強くなっているのね。
これも適応なのだろうか。大人になる事が不感症になるという訳ではない。いつの時も喜びや悲しみはあるはず。
ただ、誰にも逢いたくなくなってから4ヶ月。
まさかだけど、僕の手元には少しばかりの金が貯まっていっている。
だから、やっぱりこれが本来あるべき道だったのかもね。
退屈が不安だった。淋しさが怖かった。
そんな憂鬱が懐かしいとはまだ言えないけど、人は選ばないといけない。
「頭の良し悪し」は「相手の気持ちを汲む力」だったりするのだと思う。
幸せの尺度を決めるのは自分の心だ。
物事の価値を決めるのはその時に生きている自分自身なのだ。
小難しい情報はもう要らないと思う。何もかもが重い。
・・・・・・
東京で僕と逢った事ある人たちへ。
いろいろあったけど、生きてるよ!
これ懐かしいでしょ。
いつか会える人は、あれから「変わった僕ら」で逢いましょう。
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