好き嫌い 考え方捉え方が違うのだから見ているものも人とは違う。だから似たような人と出逢いたいと思うのだと想う。

夏が終わる。

葉桜の写真を撮らなかった夏。

5年ぶりだと想う。
悲しい気持ち。考えれば考えるだけ深みにはまる。


寂しい人間だと思う。これを孤独だと呼べるのだろうか。
どこまでいっても安心できる事、場所がない。
自分の居場所はどこだったのだろうか。


人と人とは解かり合えないけれど、人の気持ちは移り変わる。
それを悲しいと捉える。
金でしか繋がれない関係ばかりなのだったのだろうかと。

この夏は自分から縁を切っていった夏だった。初めての事だと思う。
僕も「所詮」は「人」を人として見ていなかったのだろう。



退廃的で、矛盾している。人の儚さや、人が堕ちていく。

壊れていくものに美しさを感じていたと想い見ていたけれど、それはどこか嘘みたいなものが混じっていたのかもしれない。自分でもよく解らない。

自分も同じ穴の狢だから、他人の「その時」を見る事で感情移入して感傷に浸って、自分も同じような気持ちに浸っているだけだったのだろうかなと。

だから自分を寂しい人間だと思う。
だから「孤独な人ね、」と他人から言われてしまうのも、それも間違っていないと思う。悲しいけれど。

だから「寂しい人ね」。
それは、それを的を得ている。僕を射抜いているのだと思う。


「良い人」「優しいね」って言われるよりも、「孤独な人ね」って言われてしまうと虚しくなるのだけれど。
そこを見抜かれてしまって、僕を知っている人に厳しい言葉で刺されてしまうと 悲しいな。


だれか助けてと思う。されか背中を突き飛ばして。
そんな事ばかり考えている。ダメな奴だ。

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