まだ下書き
自分の人生に物語を名前を付けるなら。
人生が一度きりなら自分の人生の名前も自分の本名にするのだろうか。
あるいは題名(タイトル)を自分で付けるのか。
人それぞれだから人間が頭の中で考えている事は面白い。
僕は後者。
・・
生きる事は辛い事だと思う。
今も、今日も朝から思っている。
悲しいのは、今日は昨日と違う理由だけど。
昨日の理由もまだ残っている。
・・
帰り道のドラックストアにて、ふと振り返って食品や入浴剤や美容などの綺麗に並べられた棚を見て
「これ全部、自分の物」
「これ全部、自分が好きなように使える」
「全部大人買い」
そう口にして想像してみたけど、今の僕はそれが幸せだとも嬉しい楽しいとすらほとんど思えなくなった。その価値が自分にとって必要なものなのか、自分にとって本当にお金や時間をかけてまでして手にしたいものなのか。
少しでもそこに目を当てて考えられるようになってきたのは人の御陰。
年齢や経験だけでは無い。
人間性も込みで僕だから、今こうしているのも僕だから。
僕を生かしてくれた人の、その人の姿が、僕の視点で存在しているから僕もあの時の僕とは違う。
だから大丈夫、心配しないでとは言わない。
わからないと思うけど、わかってもらえないのが悲しいのは認めて、それも仕方が無い事として身勝手な事ばかり言っているけど、僕はもう少し頑張って僕は僕の今を生きる。
その過程で何かあったら連絡する。
良い話ばかりじゃないけど、悪い話ばかりでもないから、今までと変わらないように見えるのも変わらないでしょ。そういうのも「人間なので」と言って笑える内は笑って見守っていて欲しい。
だからもう「完全なる絶望」には届くはずが無いと思います。
悲しいけど思うのです。そう言いたいのです。
僕の生きた証や宝物は、自分のイメージしていた形には出来なかった。
そうしなかったのは自分の問題。
失うものも大してないうちに失う事を恐れすぎた。
死ぬ気も無い癖に傷つく前から傷も失敗も恐れて立ち止まるな。
だから、僕の自業自得ともいえます。
こういう時にいつも真剣に考えるようになれてきた。
何日かかかる時もあるけど、完全に立ち止まって蹲るような落ち方はしない。
美味しいご飯は食べたい。毎日食べたい。
外食も気軽に、ジャンクフードも、好きな物ばかり食べて。
色んなものを気になったら気になるだけ、馬鹿みたいな食生活。
世界中のありとあらゆる美味しい上手い物を食べ尽くしたい。
お金を気にせずに、自由気ままに好きなようにしたい。
そういう生活がしたい。それが良い人生とやらで、それが幸せな人生。
それは大間違いで、見当はずれ。僕の幸せはそこじゃない。
僕の幸せはそこにはない。
・・
人生は虚しい事、空しい事ばかり増えていく。
懐かしい、思い出のあの場所。
あの頃、毎日いた場所。
店、商店街、店の人、近所の人達。
写真を見ると思いだす。思い出せる。
けど、それを見るのも僕はもう悲しい。
だから生きる事は悲しい。それだけは変わらずにいるから物悲しい雨。
・・
今日も僕は生きてる。
今もどこかで僕らは生きている。
だから生きていくのは悲しい。
孤独で、不安で、孤独で辛くなる。
だから思い出は悲しい。
形あるものは必ず、命あるものはいつか必ず、消えて居なくなる。
亡くなる。こんな事をいつまで続けるのだろうかと考えるとこれが一生続いていくのだろう。そうしてまたいつか考えて立ち止まって走っては転んで歩きながら立ち止まりながら振り返りながらながらまたその時を僕らは生きていると思います。
だから、どこまでいっても僕が僕を指さして
「ロックだね、幸せになれたんだね」
と自分が自分に心から伝えられるようにもなれたら良いのにね。
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