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音(ね)僕らはこの世界に生きていたのです。


notoのタグに、「好きな3曲を熱く語る」というのがあってね。

昨日、ドミューン『DOMMUNE』で、これね。

【実写版「マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界」The World of My Bloody Valentine〜極限にまで到達したロック・サウンドの軌跡 マイ・ブラッディ・ヴァレンタインがなしえたこととは】https://www.dommune.com/streamings/2021/092801/

昨日この放送があって。

僕は感動したの。久しぶりに。

北海道に行った時の釧路の夕日を見た時

ナンバーガールを生で目の前にした時

これと同じくらい涙が流れたのね。

うまくいえないけど。

きっとこの感動とか、それこそ過程を経験をね、共有できないって事は悲しい言って事なの。

僕が言いたかったのは、好きな人と、好きな景色や風景や音や匂いや香りを感じながら、感動した時を共有したかったの。

今も、昨日のドミューンの録音を勝手に私的に録音した音を聴きながら、
この文章を書いている。

でも、これは誰にも伝わらない。誰にも解ってもらえない。

共感共有してもらえない。

それが悲しいねって話をしてるの。

その繰り返しね。

「逢った事がなかった事になる」というのは、そういう事に似ているのかも。

人間はいつか必ず死ぬのに、運命を共有できないで、好きな人と共有できないで死んでいく苦しみを語っているの。


たとえ、もし 昨日のライブ配信の時に隣に君がいたとしてくれたら。
君がいたとしたら。

そんな事ばかりを繰り返しているの。

だから悲しいの。


これからの事はわからない。

運命は解らない。人生は解らなない。

でも、あの時に「君」と出逢って、「君たち」と出逢って、

サイコロジーな事だけど。

マイブラが流れた昨日があって、ナンバーガールが流れたあの日が僕にはあって、ルミナスオレンジが流れた日があって、チョモランマトマトが流れた日があって、「巡り色をめぐって」、呂布カルマが流れた山口県への旅があって、mol53が流れた日もあって、真っ青になって。

今日もこれからも日々は続くのだけど、僕らは生きて、きっと必ず君の元に想いが届くと信じて、必ず届くと想いを込めて生きていこうと思う。

背景

『DOMMUNE』実写版「マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界」のDJパートを聴きながら、12年の片想いを拗らせながら。

この轟音に沈め。

ここで人生を変える。

ありがとう の 言葉を超えて、自分だけの世界なんてひっくり返して

淡く儚くも、轟音に沈め。


運命って不思議。

僕、この言葉 好き。

運命は不思議って言葉。

運命は不思議

安っぽく聞こえるから嫌いだったけど、使いたくなかったけど

運命って不思議。

こうやって カルチャーは繋がって 人も音楽も文化も繋がっていけたらいいのにね。


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