だから、大丈夫。

僕の日記は、自分のリアルタイム速報みたいなものです。



非公開も入れると、大学生より前から日記を書いています。

僕の変な日本語の日記は面白かったのだろうかな。

不安も怒りも悲しみも、感情が渦巻く僕の日記。
振り回されている僕の姿は、少しは誰か人の力になったのだろうか。
僕の存在は、少しは誰かの、何かの役に立ったのだろうか。

外の世界が、気が遠く、果てしなく、長く重い距離に感じる。

東京にいた時に、言葉を仕事にする人が僕にアドバイスをくれた事がある。

「一度書いた日記やメモを三か月くらい放置して、内容を忘れた頃に再度読み返して、それが自分で理解出来たら公開してみたらどうか」

でも当時の僕は、リアルタイムの生々しい僕の声、が他人から共感されている理由だと思っていたのと。
東京は人は多いけど、孤独すらも色あせていて味気なかった。
だから寂しくて、苦しくて、沈黙なんて事は出来なかった。

今の日記は、僕の生きた証。実録、記録。

自分から自分に宛てての日記だと思う。生きる為の記録。

どうしても忘れてしまう。見過ごしてしまう事で道を間違えたくない。
それで今の今でも、こうして同じような事も、何度も何度も何度も書いて、それで生きている。

自分が立ちあがり走り出し跳ねる瞬間を諦めた訳じゃない。

僕が心の補強が上手い、という話。

僕も先日そう言われて、確かにそうかもしれないな、と自分で思った。

3年前まではインプットするしかなかった。
完全に非公開のままで声が聴けるのは年に何回か。

それ以外、僕は黙っていた。実際には黙ってはいなかったけれど、僕の声は、閉じ込めた空間だけにしか見えない。響かないように僕が囲っていた。

閉じ籠って、潜っていた。

宛先はあるけど、届かない手紙だ。

結果的に、きっかけと、引き金を引く風が吹いて。僕は一気に不特定多数の外側の世界に向けて、今の自分を書き始めた。それがこのnoteだ。

それは神様からの贈り物だ。
偶然とはいえ御縁と、タイミングだった。
運命と言いたいけど、まだまだ色々ある。色々あったのだ。

だから、僕が心の補強が上手いと言うのは、ここで日記を書いている事もその一つだと思う。

最後、あの時、僕は壊れた。

暗闇の中で偶像崇拝のような事をしていたのだから、何処かで限界が来るのは分かっていた事かもしれない。

今はまた別の事や、色々な事に直面している。皆も同じだと思う。
でも僕は自分を見失い切る事は今はない。

「そんな事ある?」って言う人もいるだろうけど。
僕は人より振り切った時の振れ幅が大きい。
一気に動き出した時、速すぎて、バランスを崩しやすい。

僕の悪い所の一つは、バランスを崩す前の事よりも、その後。
バランスを崩した後でも、転がりながらそのまま走ってしまう所だ。

自分でも何が正しいのか、間違っているのか、全部を抱えて走ろうとする。だから自分を見失う。

だからその人は、今の僕を見て「上手い」と言ってくれているのかもしれない。

今はまだ、僕が完全に黙ったら、終わりだと思ってる。

だから僕は今は黙る気が無い。そして正しく形にしたい。

・・

良い事を書こうなんて思わない。けど、僕が書いてしまう日記は、僕の本意や、したい事とは少し違うのかもしれない。

原因は、目標や目的が決められない事だと思う。だから道筋が作れない。

そもそも、何をやってるんだろうと思うと、今は一発で動けなくなる。

・・

他人の事は分からないし、人は人。

やっぱり僕は安心できないのだ。

生きていて、安心すらできないのだ。

・・

今朝、最近仲良くしていた彼と少しだけ距離が離れる話があった。

僕らは別に、悪い事や暗い所にいた訳じゃない。
でも、周りの人達に喰われないように、お互いに励まし合っていた。

僕も彼も、人の為にと利用されて足元をすくわれている過去があった。
だから僕は親近感を持ち、気を付ける事も、お互いに共有できたと思う。

短い間だったけれど、良い出会いだったと思う。

少なからず、心が折れて落ち目になっている僕には、数少ない心の内を話せる一人だったと思う。

お互いに、これ以上傷つかないように、一日でも早く自分たちが回復できるように模索していたのだと思う。
だから最初から気が合ったのだろう。心地よかったのだろう。

これからは年に何回か会えればいいくらいだと思う。
とはいえ、こういう時に土産話を持って会いに行こうとするのが僕。

どっちが先に動けるかは分からないけど、お金と時間が出来たら僕はすぐに行くと思う。

・・

僕は今もずっと、孤独で、心が死んでしまう空気に包まれている。

・・

一人が好きな人、一人が楽な人、でも寂しい人。
誰かといても、寂しい人、みんなといても、孤独な人。

普通になれないと馴染んでしまった人。

そんな変わり者たちが集まる。

・・

最近は僕も、言わない事、が増えた。
「言わない事を選択する」事が自然と出来るようになってきた。

言えないと言うより言わない。
理由はどうであれ、人前や表には出たくないから出なくなっている。

そして今も、同じことを書いていると思う。

それは、それを強化して、更新させているから。

何かが変わっても変わらなくても。
ここに書いていれば、些細な変化、修正点や反省は忘れない。

現実は、良くなったり、悪くなったり、停滞、滞留しているけど。
一歩進んで二歩下がる。

いや、一歩目から進めずだ。
そして、そのまま自然の流れで、時間と共に後ろに下がって、転がり落ちていっている。

これが嘘も脚色も無い僕の事実。

これ以上はもう取り返せないと思ったら、諦められるようにしたい。

僕は変わらず、縁がある人とは繋がっている。
けど今の僕はますます人と会わなくなって。
言葉を発する時は一人の時だ。

仕事中も、今は誰とも話をしたくない。
最低限度の会話と、疲れない程度に流す会話だけしかしない。

理由は、めんどくさい。あと体力も気力も全部無くなっている事。

あとは、他人は他人だから、
僕の人生には最終的には誰も関係ないと思ったから。

だから今いる生活圏や仕事関係の中で、
もう人間として交流や繋がる気が今は無い。

それが大きいのかなと思う。

・・

僕は死ぬまで変わらないと思う。
けど、これもまた形を変えてくのだと思う。

「いつか、僕が感謝している人にお礼を届けたい」
恩返しが、できればいいと、未だに、まだ思っている。

けれど、もう会えない人や、僕とは二度と会いたく無い人もいると思う。

それでも、今でも、苦しくなる。

大人は思い出を重ねる。
だから、いつも悲しみを抱えているのだろう。

もう既に僕らは変わっているのだと思う。

・・

僕は会えると思っている人とは会える。
そういう星の元と言うか、業。その運命がある。

でも、そんな僕でも
「もう死んでも会えないんだろうな」
と想う人がいる。

こんな僕でも
「もう会えないんだな」
と何度も言葉にしている。

だから自分がどう言おうと、自然と僕はそれを受け入れているのだろう。

解っている。

もし僕が、今までと変わらない僕、なら。

「命を懸けて」
と一線超えた制約をかけて、それでも会いたいと想っていたと思う。

今、そう想っていないかと聞かれたら。

「会いたい」

けど、それとこれは別。話は別。
そこの線引きも、間違えないようにしている。

それだけ僕の中では特別で、世界一の人たちがいる。

でも、そんな事、白昼夢、偶像崇拝みたいなものだ。
そして、今はそれでいい。今の僕はそれを正しく自分の中で生かせる。

会えない理由は、色々あるかもしれないし、無いかもしれない。
そんなものだ。

会えない、会いたくない。どんな言葉を使っても、辿る道は同じ。
だから僕だけの話として墓場まで持って行くの。

だから、いつまでこうして想い続けるのは、良くないのかなと思うけれど。

大丈夫。僕は、変わった。

変わった事は、少しだけ、過去や執着を忘れてきた。
「過去の執着」ではない。「過去」と「執着」は別々ね。

・・

僕は外に出たいのに、外の光が恋しくて、苦しくて、寂しいから動けない。それも背負うしかない。

・・

でも、過去の延長線上に、今の僕らがいる。
だから、その事も、あった事は無かった事にはしない。
悲しいけど、僕はまだ出来ない。

ここを見られてしまうと、人は僕に対して安心できないかもしれない。
誤解やイメージも悪くなるかもしれない。
それだって今更だけれど、悪い、ごめん。

僕はちゃんと地に足つけて生きていこうとしているから。
許されるか許されないかは、今は置かせてもらう。

でも、大丈夫。

魂の距離だけが、僕を繋ぎとめている。

だから、大丈夫。


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