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変化、気づき、変化、改め、確認、訂正、気づき、唖然、茫然、再確認、我に返って、遠い目

※10月以前の日記です。再度再公開です。また、いつかどこかで、
今までのnotoや日記を見聞きしてくれてた人は、修正や色を添えたり直したりしてますので、また、どこかで逢いましょう。

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昨日の自分の音声を聞いて思った。再確認だ。

また同じ事を言ってる。また同じ、また同じ、また同じだ。
また同じの繰り返し。
またこの展開。またこの話し方。この言い方。また明日、また今日だ。

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今日は警察、消防、保健所、役所、業者、法務局。
上司・業者・お客様への報告。
これを昼前から繰り返して夕方になった。

「何でそこまでするの」「そんな事してたら責任負う事になるよ」

わかっている。割が、力配分が分からなくなる。合わなくなる。
混乱しているのかもしれない。

必死だ。感謝を全力で尽くして伝えたいだけだ。
「いや、これは自分も知っておくことで手続きとかについて勉強になるので、後々この手の仕事の時に知っておけば説明も出来るので」
必死か。必死の良い訳か?
「それならやればいいけど、本来それは我々がする仕事業務じゃないからね」
「わかりました(わかってます)」
必死か。そこまでして何になる。何の得がある。何のメリットがある?
そこまでして相手に伝わるか?また同じことを繰り返してる。
やり過ぎは良くない。やり過ぎも良くない。
「それが(君の)悪いところ(癖)だよ」

そう言われても仕方がない。けど不安なのだ。不安だ。不安になるのだ。不安で不安で仕方が無くなるのだ。なぜ?わからない。なぜ?好かれたいから。それで?それでどうなるかは...。今度は逆に悪くなるだけじゃん。自分が割を食うか損して嫌な気になるだけじゃん。

ああ、もう。頭が痛い。心が疲れる。もう疲れた。嫌だな。途方に暮れる。いや、仕事に戻る、続ける。いや、もう今日はサボろうかな。もう嫌や。もういいや。


「誰も解ってくれない」大嫌いな言葉だ。
「私は私は」「私はこういう者で」ああ、うるさい。

ノイズが走り出した。


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「傍観者」と「観覧者」とは違う。

自分で頭で決めて、自分の足で、その地、その場にいる人間は「観覧者」。
無縁、無関係で、害も無ければ用も無い。
通りすがりの「傍観者」に、僕は要(用)は無い。

今のは上手く言い得てない。

ライブハウスにいる客は観覧者。
路上にいる歩いている人は傍観者。

ステージから見れば、自分と関係ない人たちも明確に分かれている。
演者も自分で解っていて舞台側に立ってる。

客席から見れば「お前なんて知らない、お前なんかに金を払ってない」
演者から見れば「お前なんかにようは無い、俺も金を払ってここにいる」

たぶん、これが僕には一番近い感覚だと思う。
何か違う気もするけど。
限りなく近い例え言葉だと思う。


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