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「生家との絆」



今回も私の原点実家時代のお話😊
そして今の気持ちも書いてみました🌈
 

私の実家は本家なのでお仏壇があるのですが両親は信仰心があまりない人でした。
お仏壇に手を合わせたりお線香をあげたりというのを、ほぼ見たことがありません。
私が不在時にやってたのかもしれませんが。
でも、果物は必ずお供えしてから食べていましたね。
お花は夏は庭のお花を父がお供えし、冬は造花でした。
そういえば、お仏壇のお供えのご飯が乾燥して固くなっていたり、カビが生えている事が多かった。笑
そんな我が家でしたが、大晦日の日は仏壇と神棚に手を合わせるように教わりました。笑
ちなみに、ここだけの話ですが、母は嫁いで5年子供が授からなかったので散々祖母に虐められたと聞いています。
なので、母はお仏壇関係に関わっていないようです。
 
遺影は祖母だけです。
小さいころは祖父の遺影が無い事は、不思議に思った事はありませんでした。
でも、大きくなると「どうして祖母だけ?」と疑問がわいた為、父に聞きました。
父が若いころに祖父母は離婚し、祖父は出ていったそうです。
仕事の手伝いに来ていた「でめんさん」と仲良くなり、その人との間にもう一つ家庭をもってしまったそうです。
子供も4人いたとの事。
祖母は離婚したくなかったのですが、成人した子供たちから、お願いして離婚してもらったと言っていました。
 
私は祖母との思い出はほとんどありません。
祖母は着物を着ている人だったと思います。
祖母の部屋に妹とこっそり入りチョコレートを内緒で食べようとして見つかった事、
母がくれたシガレットチョコを食べていたら、こんなの食べちゃダメ!と怒られて取り上げられた事。
これ位しか思い出せません。
食事は祖母の横で食べていて、相当かわいがってもらってたみたいなんですけどね。
残念ながら、かわいがってもらった記憶がないのです。
 
私が幼稚園位まで祖母が生きていたと思います。
ある日、暗くなっても祖母が帰ってこなくて、心配した父が物置に探しに行ったら、祖母が首つり自殺をしていました。
あまり覚えていないのですが、警察の人が来たり、親戚が一斉に集まってきてバタバタしていたのは覚えています。
家に運ばれてきた祖母はすぐに奥の部屋へ連れていかれました。
ふすまの隙間から覗いたら見えたのですが、祖母の顔はとてもキレイな寝顔に見えました。
 
あの時、父は泣いていました。
母親が亡くなったのだから当然ですよね。
そんな父に「自分じゃないからいいでしょ」と言ったのは覚えています。
なんて事を言っちゃったんだろう。今でも後悔です。
ごめんねお父さん。
でもねー、そうゆう事を言っちゃうって事は、普段からそうゆう事を言われてる子供だったんでしょうね。
そうとしか思えない。
私は祖母が亡くなっても、まったく悲しくなかったのです。
涙の一粒も流れませんでした。
小さすぎて死という物を理解していなかったのかもしれません。
 
そうそう、小学生の頃に両親に対して「ちゃんとしてよ!」って思ってた事があります。
月命日だと思うんだけど、お坊さんがお経をあげに家に来てくれる事がありました。
おそらく祖母が亡くなった最初の頃は在宅してお坊さんの相手をしていたと思うんだけど、年月が経つとどうでも良いんでしょうかね。
お坊さんって、お経上げてちょっとお話して1時間以内で帰ってくれるのに、畑仕事して不在にするんですよね。
お坊さんに会いたくないのか?わざととしか思えない!
両親には「お坊さんの相手してね」と言われていないけど、家にいる子供の私や妹たちはお坊さんを無視する事が出来ずにお茶を入れておもてなしをした事があります。
私たちは、子供なのに正座してお経を聞きました。あの正座30分は足が痺れて大変でしたよ。
「えらいね」と褒めてもらった記憶があるけど、褒めてもらえたことより「お宅の父さんと母さんはどうなってるの??」と言われてるみたいで、恥ずかしい思いをしました。
 
お盆には毎年家族で納骨しているお寺にお参りに行きました。
お寺の中は少し薄暗く、真夏でも冷蔵庫の中の様にひんやりと涼しくて、お線香の香りが漂っていました。
お寺では長居はしないし、時間を約束している事もないらしく、他の親戚と鉢合わせする事はありませんでした。
滞在時間は15分位でしょうか。
年に一度の異空間は、いつ来ても少しの恐怖を伴う不思議な気持ちになりました。
お化けが出たらどうしようって思う事があったんですよね。
中学の時に「心霊写真集」「こっくりさん」等が流行っていたので、その頃は霊という言葉に敏感で恐怖を感じていました。笑
あの頃は見間違いも多くて、人だと思ってビックリしたら看板だったとか、しょっちゅうでした。
暗闇とかに、ビクビクしながら生きていた!😱
変な子供だったなあ。
ああ、本当に懐かしい思い出です。
 
社会に出てからは、タイミングよくお盆に帰る事も無くなり、お寺へお参りに行くことも無くなりました。
そして数年前に父がお墓を建てたので、もうあのお寺へ行くことも無いでしょう。
お墓には大きく「絆」と刻まれています。
定番の〇〇家の墓と刻まれていないのには驚きました。
町営の古くからある墓地は、縦長の黒いお墓が沢山並んでいます。
その中で一つだけ近代的な大理石のお墓がキラキラ光っています。
明治生まれの祖母のイメージとはかけ離れているオシャレなお墓。
どれだろう?と迷うことなく祖母を見つける事ができるのが本当に嬉しい~!✨✨
 
こんな風に祖母の事、実家の事を書いているので、繋がりが深い印象をお持ちと思いますが、実は普段は全然連絡を取り合っていません。
コロナが流行る前までは年に一度は帰省して、父から野菜が届いた時や子供の写真を贈る時等に連絡をとっていました。
それくらいです。
関係は良くも悪くもない感じ。
会った時には色々話しますけどね。(しかし、離れすぎてて遠慮がちになっています。)
昨年、それをとても寂しいと思った事があるんです。
職業訓練の同級生達が、両親や兄弟ととても仲が良くて、その話を色々聞いてたら羨ましくなっちゃったんです。
それを、タイミングよく申し込んだ鑑定士(占い師)の人に相談したら、
「あなたは手相に生家と縁遠くなると出てるし、近くて関係の悪い親子より、よっぽど良い。相続争いもないし、介護とかで悩む心配も出てない」と言われました。
私はそれを聞いて手相にでてるなら仕方ないと、寂しい気持ちになりました。
相続争いがないとか未来に不安が無いことを言われたら、通常は安心すると思うんでしょうけどね。
ここについては、またいつか向き合う時期が来たら記事にしたいと思います😌

さて、私の存在理由は
「私は穏やかで安心な場所で家族の絆を大切にし、私らしく面白く表現する存在です」です🌈
「絆」という言葉が入っています。
お墓と同じ言葉!!
このシンクロには、先日書きながら気づきました。
他の人から見たら、ちょっと変わっていても、これが私たちのオリジナルの絆の形。
未来へと引き継がれていくのだと思います。
  
おしまい😆

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