見出し画像

手紙

私のバイト先である"shokudo & cafe osse"には
沢山の常連のお客様がいる。

その中でも、毎週火曜日に足を運んでくれる
とても仲睦まじいご夫婦さんと、私は親しくなった。

ご夫婦は共に、とても文化的で
食事を待っている間はいつも各々
静かに趣味の読書をしたり、時折和やかに
談笑したりして、穏やかなひと時を楽しまれている。

旦那さんは自身の手のリハビリも兼ね、
好きな本を手書きで写し書きしているらしく、
毎週、そのコピーを私たちに持ってきてくれる。

私たちは昼休憩の間などに、裏でそれを交代で
読みながら、いつも楽しませてもらっている。

そこに写されている内容は、エッセイであったり
小説であったり、聖書の一節のようなものもあったり、種類や文体もさまざまでかなり読書家なことが伺える。

自らは手に取ってこなかった物語に
いつも出会わせてくれる、この時間が
私にとって毎週の楽しみになった。

ある日、お食事を運んで行った際に
スッと、小さなメモを手渡されたことがあった。

読むとそこには、趣味で俳句を嗜まれている
旦那さんが私について読んでくれた一句が
綴られていた。そんなことを自然にやってしまう、
なんとも粋な方なのだ。

割と御年配なのだが、よくよく注目してみると
ファッションのセンスにもこだわりが垣間見えて
「若い頃はなかなかに洒落たカップルだったのだろうな…」
と、いつも勝手に想像してしまう。

たまに若い頃のお話や、日々の生活の様子などを
聞かせてもらうことがあるけど、
ホント一体、何者なのだろうか…と毎回謎は深まる。なんとなく、まだ深くまでは聞けていない。
柔らかな空気を纏っているのに、
どこかミステリアスで、惹きつけられてしまう
そんな存在。


そんなお2人が、osseでも販売させていただいている私のzine「ゆたのたゆたに」を読んでくださったのだ。

きっと文章や言葉への感度が高いお人。
その上、接客している私の様子と文章の中での姿では、かなり印象が異なっているはず。
こんな私の書く荒く拙い言葉が、一体どう映ってしまうだろうか…と内心ドキドキした。


zineを購入された次の週、いつものように
注文されたお食事を運んでいくと
一通の手紙を渡された。
水色の封筒に、お魚のシールが貼ってあった。

「感想といいますか、本の内容を読んで、
励ましの言葉を送りたいと思いまして」

よかったら読んでください、と。
「いつも色々渡してごめんなさいね」
と、隣で奥さんはふふっと笑っていた。


手紙には、私がzineに書いた
「魚座コンプレックス」という章についての
メッセージが綴られていた。

zineの内容を全部説明するのは大変なので
省略するが、ざっくり言うと
自分に何かしらの才能があることずっと
期待してきたけど、その期待を自ら諦めてきて
しまったことへの、情けなさともどかしさ
みたいなのをダラダラと書き殴っている。

手紙を読んですぐ、少し笑ってしまった。
冒頭から
「私がひそかに愛している女性が、
作家であることを発見し、それが一番に嬉しい」
と、綴られていた。
まさかのラブレターだったのだ。

奥様のいる前で、ラブレターだなんて。
いやはや、嬉し恥ずかし、ちょっと気まずい。笑

その続きには、

内面を吐露できるのは、もの書きにふさわしい
要素が秘められてている

諦めることは、また新たな道が開けることであり
時には捨て去った夢へ再び挑戦する機会がやってくるかも知れない。

といったような、私の抱えるコンプレックスを理解して、それを励ましてくださるような、暖かな言葉が沢山並んでいた。
帰ってから読んだとき、感激で泣いてしまいそうになった。

その中でも
「料理を提供するのと同様、一つの作品を生み出すことは、人にエネルギーを与え、力づけることになる」
という一文に、私の心はギュッとなった。

私はいつも、人から与えられてばかりで
受け取る側の人間で。
私の方から何かを人に与えられた
という感触を、得られたことなんて
これまでほとんど無かった。
たぶん私のコンプレックスの根源は、ここなのだ。

そんな私にも、与えられるものなんて
あるのだろうか。
今はまだ、その自信はない。
それでも、私が書くことを喜んでくれる人が
一人でもいるのなら、私はそれを糧に
自分のやりたいことを素直に信じて、
とりあえずでも進んでいこうと、進んでいいのだと
そう思えた。
私にとって宝物のようなお手紙。

今この瞬間、自分がただ嬉しかったことを
ツラツラ書いているだけのこの時間だってきっと
無意味なことじゃ、ないですよね。


zine ゆたのたゆたに

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?