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大人の余裕

 この記事は、私が自身の誕生日の前日に書いたメモから引用。

 26歳と27歳には、大きな差というか、切り替わりがあるような気がする。

 字のフォルムからしてそうだ。
6には丸みがあって、どこか幼さやあどけなさを感じるが、7は背筋をスッと伸ばしたような、妙にしっかりした大人びた雰囲気が出ている(ように見える)。
だから26歳は20代ならではの若々しい振る舞いや心持ちを持って生きていられるが、27歳はいよいよそうはいかなくなる。というか、そういう振る舞いを許してもらえないのでは?という恐怖心みたいな、罪悪感?強迫観念?に苛まれる。

 さて、そんなことを考えながら私は、後16時間ほどしたら27歳という年齢を迎えることになる。大人に、なる。
いや、これまでもずっと世間的に言わせれば大人だった。でも心の中では、本当に、全然子供の気分がいまだに抜けきれていない。

 周りからは「落ち着いてるね」とか「しっかりしてるね」と言ってもらえることが多いので、すでに30代に思われることが多いのだが。
テンションの高さはハタチの頃には及ばないにしても、それでもその頃と同じままの好奇心と、甘えと、情けなさがたっぷりぎっしり詰まったままで今年も歳をとる。

 こんなはずじゃなかったな。これくらいの年齢になれば、勝手に心も大人になると思っていたのだが、どうにもそうはいかないらしい。
 周りのせいにしたくはないが、私が生活している環境も大いに影響しているとも思う。

 振り返れば、大学を卒業し地元へ帰った頃、まだ若々しさ溢れる私の相手をしてくれたのは、可能性と好奇心に満ち満ちた少し(かなり)変わった大人たちだった。その大人たちに、年少として、未来ある若者として、「まだまだ若い!可能性に溢れてる!」と持て囃してもらいながら、ご機嫌な毎日を過ごしてきた。

 そうして気づけば5年経った。周りを見渡せば、あの頃全然出会うことがなかった私と同世代の人や、私よりも若い年代の面々が登場し、気づけば私は割と最年長になりつつある。
「さん」付けで呼ばれることが多くなった。敬語で話しかけられることが増えた。私からタメ口で語りかける相手も増えた。
私はもう、子供でいられない。大人になれたつもりなんて、まるでしないというのに。

 そもそも、大人って何なんだ?
金銭面をきちんとやりくり出来ている人のこと?
他人に頼らずに生きている人のこと?
自分のやりたいこと、やるべきことがわかっている人のこと?
将来のことを日々考えて、計画を立てて生きている人?
自分のことばかり考えずに、他人も思いやれている人?

 現状、自分に足りていない大人的要素を挙げてみた。
こう具体的にしてみると、かなりハードルが高いことを言っているような気もする。いや勿論、これらの条件を全てクリアしている立派な人々は沢山存在していると思うが「全て」と言われると、案外難しいのではないだろうか。

 私はまだまだ不完全なくせに、物事の完璧を求めようとしてしまうかなり厄介な性分で、それをこの数年でやっと自覚してきた。
私は、理想の大人像のハードルを無闇に上げすぎてしまっているのかもしれない。

 きっと、私は「余裕」が欲しいのだ。何事においても。
お金も、仕事も、時間も、気持ちも。全てにちょっとだけ余裕を持っていたい。キャパシティがちょっとでもパンパンになるのが辛い。こういうところに、自分て大人になれていないな、と感じる。

 でもみんな、余裕なんてないのだ、ほんとは。
余裕がなくたって、それを人のせいにせずに
「何とかなる」「何とかするしかない」
と、投げ出さずに己を鼓舞して、一つ一つを解決していくのが、私の求める大人の姿。私が憧れてきた人たちの生き様なのだ。

 後半の文章は、すでに27歳になった私が書いている。

今も変わらず、私にはまだまだ余裕なんてない。
いや、時間は腐るほどある。腐らせてしまった時間も沢山ある。
やりたいことが沢山あるくせに、お金やら自分の技量やら、様々なことを言い訳にして、腐らせた時間。
それを横目に頭を抱えて、項垂れて、一人勝手に急かされたような気持ちになって、でもどうしていいか分からずに、一旦それらを先延ばしにした、ダメな大人がここにいる。

 それらをどうにかするためには、地道に一つ一つと向き合っていくしか、方法はないのだろうな。その地道さを受け入れることを、大人と呼ぶのかもしれない。

 27歳。私もそろそろ、大人になる。

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