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バウマンのいう市民とは「モテる人」のことだよねっていう話。

 熱い論文を読みました。山本 真知子『もう一つの身体作法の獲得に向けて ——「社会運動の高齢化」という問題から考える——』。

 これから紹介していくのは,そうした既存の他者との関係を編みなおすプロセスを展開 しはじめた者たちのなかでも,近年,沖縄の反基地運動に加わりはじめた/新たなかかわ り方をはじめた高齢者たちである.換言すれば,彼女/彼らは沖縄と直接的にはかかわり のない数々の運動を展開する過程を通して,沖縄の反基地運動に新たに参入してきた百戦 錬磨の人たちでもあるのだ.そうして長年の運動経験を通して出会いなおされる沖縄があ ることを踏まえると,運動の高齢化なるものが,そもそも嘆かれるべきものなのかを問い なおす必要があるといえるのではないだろうか.
 本稿は,60 歳以上の抵抗者たちの声に耳を傾けることを通して,「夢の継続を志向する 者たち」としての彼女/彼らに出会いなおすことを目的にしている(冨山,2013, p.253). いいかえれば,自分たちの未来を希求する行動の軌跡をたどりなおしていくことを通し て,どのように敗北を受け止めながら,沖縄の反基地運動にかかわってきたのかを探って いこうとしているのである.そしてそれは,いかに生きるかを模索し,選択していく連続 性のなかで,彼女/彼らの運動経験を浮かび上がらせていくプロセスとともにあるという ことも予め強調しておきたい.さらにいうならば,本稿は高齢者たちの運動経験を追って いくことで,終着点をもたない運動の生成/維持過程においてかけられてきた夢を掘り起 こし,運動の存在意味を縁取りなおすことも射程に入れている.

 詳細は本論を読んでもらうとして、やっぱり以下の部分は紹介しておかないとなと。

バウマンは,「みずからの幸 福を都市の平和と発展をとおして実現させようとする人間」を「市民」と呼んだ(2001, p.47)24).

 これ、モテまち理論で提唱している「モテ」なんですよね。

 大学のシティズンシップ論のゲストスピーチで「市民とはモテる人だ」っていう趣旨の講義をしているんですけど、多分学生さんは「このおっさん、面白いこというとるな、市民がモテるってなんやねん」くらいに理解してますが、実はおもしろギャグではないんですよ。市民とは、自分と都市の幸福を同時に実現しようとする人であり、すなわちモテる人であるっていう話だったりするんすよね。

 一方でバウマンは、そんな市民が分断して、公的関心を失い個人化していく様子を指摘していて、これはモテまちで指摘した「モテにくい」社会の実像なんすね。

彼は,市民性が侵食され個人化が進行している現状は,「個人的関心や興味だけ が公的空間を占拠し,それ以外の関心を公的言説から締め出す」ことによってもたらされ ていると考えていた(バウマン,2001, p.48).そうした空間では,市民は他者とのつなが りを切り捨てていく個人に変わっていく.そしてそこにおいて声は,近ごろテレビや SNS でも散見されるような「わかりやすさ」が聞き取られるための条件,あるいは史上価値と される一方で,抵抗する者たちの声は,出来事を相対化して心地よい空間に安住しつづけ させていくために消費されていくことだろう.
バウマン,ジークムント(2001)『リキッド・モダニティ——液状化する社会』森田典正(訳)大月書店

 モテまち理論は決してトリッキーな議論をしているんではなく、案外と哲学史とも接続可能な議論なんすよって話でした。オチはないです。

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