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「生活保護は甘え」論から考える。〜人は人を甘えさせるべきか、甘えさせるべきではないか、それとも。

 土居健郎さんじゃないけど、今朝散歩してて、「甘え」って言葉について考えて。

 「甘える」っていうのは、「自分の生存にかかるコストを他人に押し付けようとする」というような意味で使われる言葉で。例えば、僕があなたに突然「僕の生活費を面倒見てくださいよ!」と言ったら、あなたはおそらく「甘えるな!」となるだろう。これが日本語で言う「甘え」の使い方だ。

 余談だけど、大学のときに、『甘えの構造』を教科書で読んだって話を、当時文学部にいた大学の先輩にしたら、「まあ、土居さんは”甘え”って言葉に甘えているよね」と言っていて、パイセンかっけー、と思った覚えがある。確かに今にして、土居さんは、「甘え」をテーマにした本を沢山出していて、その意味では、甘えっていう言葉に学者としての生存にかかるコストを押し付けていたといえるのかもしれない。それでいうと、大抵の専門テーマを持つ学者はそうだよな。その専門テーマに甘えて生きてる。

 さて、この「甘え」、興味深いことに「基本的人権に基づいて生活保護を受ける」というのも「甘え」と呼ぶ向きがある。いわゆる「生活保護は甘え」論である。例えば、吉住隆弘『生活保護受給者への偏見に関連する心理学的要因の検討』という論文がある。

わが国で生活保護を受給して生活をしている人(以下, 生活保護受給者)の数は 2011 年に 200 万人を超えて以降, 現在も高い水準で推移している。生活保護政策のあり方が 広く議論される一方で,生活保護受給者へのバッシングが 社会問題となっている。人気タレントの母親が生活保護を 受給していたことを契機に,受給者の不正受給がメディア で過度に報道されたことは記憶に新しい。これらバッシン グの背景には,私たちが抱く生活保護受給者への偏見が関 係していると考えられる。山田(2015)は生活保護制度に 対する市民の意識調査を行い,調査対象者の 50.3% が生活 保護増加の原因を生活保護受給者の努力不足に帰属させて おり,また不正受給の割合を,実際の 2.7% に対し,平均で 30% と 10 倍以上高く見積もっていることを報告している。 生活保護制度は,憲法第 25 条(生存権)に基づく,国民の 重要な権利の一つである。世論が,生活保護制度のあり方 に少なからず影響を与えていることを考えると,生活保護 受給者に対して私たちが抱く偏見と関連する要因を明らか にすることは,意味のあるテーマと考える。

 この論文でも、生活保護受給者は甘えているという認知を持つ人々が相当数いて、その認知を偏見であると断じている。で、その偏見が何から生じるのか、ということを研究していて、いくつかの仮説があることを述べている。例えばこの研究では、「日本国民という帰属集団」に高い価値づけを行う人は、生活保護受給者を集団内で劣っているとみなす、つまり国民主義傾向と生活保護受給者への偏見は正の関連があるという仮説を立てて調査を行い、この仮説を部分的に支持する結果を得ている。

 なるほど確かに、生活保護というのは、国家に対して、自身の生存にかかるコストを押し付けている構造にはなっている。ただ、言うまでもなく、国民の生存の保護は、国家が憲法で課せられた義務であるはずで、それはみなさん程度の差はあれ承知であるはずなのだ。

 だとすると、生活保護を甘えだと認知する人は、「仮に国の義務であったとしても」って話をしているんだよね。「生活保護は甘え」論の理屈を理解する手がかりを得ようとすると、まずはそこから始める必要がある。

 じゃあなんで「国の義務ですよね」ということを前提としつつ、「仮に国の義務であったとしても」になるか。

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