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日本語の「責任」とは「俺の荷物を運ばせてやってもいいけど、壊したら弁償しろよ」という意味っぽいって話。

 「責任」っていう言葉があるんすね。娑婆で生きていると一回は口にしたことがある言葉だと思うんすけど。「私はこの件に責任がある」とか「どう責任をとるんだ」とか。日常的に使う言葉なんですが、基本的に漢字二文字からなる言葉って、中国語由来なので、ちょっと意味がよくわかりません。日本人は昔から外国の言葉をそのまま取り入れて使うという癖があるっすよね。今なら「ソリューション」みたいなことですかね。実際どんな意味かは、「やまとことば」に直してみないとよくわかんないっすね。

 英語だと、「責任」は「responsibility」っていって、元はレスポンス、つまり「求めに対して応答すること」という意味だったそうです。「こっちのいうことを無視しない」「聞かれたらちゃんと答えます」っていうね。急に姿を消してトンズラしないと。それが責任のとり方だっていう話っぽいすね。

 日本語の「責任」は「責」と「任」からなる熟語なんすね。「責める」を辞書で引くと、「相手の過失や怠慢を非難する」とか「激しく催促する」という意味だそうです。語源を調べると「責」という漢字は、上半分が棘のついた棒なんすね。釘バットみたいな。つまり攻撃の象徴です。で、下が貝がらですね。これは、昔、貝殻が貨幣として使われたことから、貨幣や金品の象徴とされます。とすると、責めるっていうのは、要は「金品を求めて、釘のついた棒で相手を攻める」っていう意味ですね。オラオラーと。逆に言えば、金品を差し出せば攻撃が止まるわけですから、まあ、有り体に言えば「カツアゲ」です。

 ちなみに、日本の地域社会は「カツアゲ」による統治が今も有効に作用していると思っていて、僕はそういう社会のあり方を「カツアゲゲーム」と呼びます。詳しくはこちらに書きました。カツアゲは社会を理解する上で重要なファクターだと思います。

ヤンキーの行動を、カツアゲにのみ注目してみます。カツアゲとは、本来「喝上げ」と書き、恐喝して金品を奪う暴力行為を指します。
 さて、地域社会の集団で、最初のカツアゲが行われます。『進撃の巨人』における「始祖の巨人」ならぬ、「始祖のカツアゲ」ですね。伝説的一回目。少年Aが、少年Bにカツアゲを行う。Bは、その奪われた経験から、暴力で奪うこととを学習し、より弱い少年Cに対してカツアゲを行います。こうして暴力は連鎖していくわけですね。この、より強い者が、より弱い者を搾取するゲームを「カツアゲゲーム」と仮称してみます。

 じゃあ「任」はどうかっていうと、どうも「持続的に何かを抱える人」のイメージらしいんすね。

 なので、まず「運ばなきゃいけない荷物」があると。しかし、荷物の持ち主は、それを自分だけでは運べないと。で、それを「先輩、チッス!自分が運ぶっす!」と下っ端が言い出すと。そしたらその荷物の持ち主であるパイセンが「しゃあないな。ええで。その代わり、落として壊したら、お前に損害賠償を請求するからな」と。で、「わかりました!」と。これが日本語のイメージの「責任」っすね。俺は別に誰にやってもらってもいいんですけど、お前がやりたいていうたんやで、と。かなり「先輩が強め」なんすね。

 こうしてみると、下っ端は、自ら荷物を持つと言い出すメリットが殆ど見えません。にもかかわらず、下っ端は荷物を運びたいという。なぜでしょう?そんな「不平等条約、やってられるか」と思いませんか?しかし、そう考えるのは、私達が法で保護された「平和な社会」に生きているからです。

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