見出し画像

人類が「人前で無能を晒すと鬱になる」方が生き残りやすかったのはなぜかって話。

 見波利幸「心が折れる職場」によると、うつ病の原因として最も多いのは長時間労働やパワハラよりも、人前で自分の能力の無さが露呈する事にあるという話が一昔前に話題になったのを思い出していて。

 ここで興味深いのは、「なぜ人は人前で無能が露呈すると、鬱になるのか」ということですね。鬱の特徴は、思考の悲観化、感情の鈍化、運動量の低下などが知られています。しかし、これらの特徴は、人間が生き延びていく上で、一見不利になるように思えますよね。例えば、無能が露呈しても、鬱になる期間なんてない、つまりいつもハイであるほうが、生きていく上で有利であるような気がしそうじゃないですか。

 しかし現実には、人間はそういう特性を備えているわけだから、進化論的に考えれば、人前で無能が露呈すると鬱になる個体の方が、ハイテンションをキープする個体より、生存しやすかったということと考えられるわけです。

 とすると、この特徴は一体、どのような環境と整合的だっただろうかと。思うに、「己の無能を感じる」ということは、「その時点でのやり方が、周囲との不適合を起こし、生きていくのが不利になっている」ってことなんですよね。そういう時に「全然問題ないぜヤッホー!」と、ハイな気分で行動量多めに動き続けると、むしろ周囲との不適合を深める可能性があるわけです。それに対し、鬱になるってことは、一旦気分をダウナーにして行動量を少なめにするってことです。まずは、やり方と環境とがずれているわけだから、一旦待つと。そのうえで、陰鬱な表情で「私は困っています、周囲のケアを求めています」というシグナルを周囲に送る個体の方が、アクティブに動き続ける個体よりも、結果として生き延びやすかったってことかもしれないです。

 ということは、翻って、そういう鬱な個体に対し、群れの仲間がケアをしたものと考えられます。群れの仲間が、鬱個体の能力の回復を促したり、環境の方を変えて、例えば別の役割を見つけるサポートをするとかしないと、先の戦術は成り立たないんですよね。だから「無能が露呈すると鬱になる」のとセットで、おそらく「無能で鬱な個体を見るとケアしたくなる」という性質が、人間には備わっているんじゃないか、そうでないと話が食い違う、って思うわけです。

 そういう性質を帯びた集団では、無能個体が集団から切り離されてしまうのではなく、再度集団に貢献できるようになって、群れとしての生存可能性が高かったものと推察できるわけですね。

 逆に、そういうシステムがない集団では、一度無能化した個体は群れから排除してそのへんに置いていったわけだから、どんどん不運な個体が切り捨てられていきます。その結果、集団のサイズが維持できないということがおきたのではないかと。

 何かの本で読んだ覚えがあるんですけど、東南アジアの小さな村でのエピソードで。その村で、産後に子どもをなくしたとあるお母さんが鬱になったというんですね。先述の仮説に則るならば、子どもを亡くすというのは、母親として無力を露呈してしまったと感じてしまうのかもしれないですね。

 で、その村では、鬱は個人の病気と考えないんだと。悪霊がとりついたせいであると考えるというんですって。で、面白いのがその悪霊を払う方法で。なんと一ヶ月くらいかけて、村全体でそのお母さんをケアするのだそうです。具体的には、毎晩交代ばんこでその人の家に行き、ご飯を食べたり、おしゃべりをしたりして、帰るんだそうです。それをやり続けると、そのうち悪霊が抜ける、つまりうつが回復すると、その村では考えるのだそうです。思うに、こういうシステムがあればこそ、人間の集団は個体を切り捨てず役立て、集団に再統合することができたのじゃないかと。

 一方で、この「無能が露呈すると鬱になる」というシステムがもしいま不適合を起こしているのだとすると、そのセットとなる特性、つまり「鬱な人をケアするシステム」の不適合が起きているということかもしれないっすよね。つまり、鬱になっても、誰もケアしてくれない。「悪霊のせいなんだから、村全体で助けよう」というロジックではなく、「自己責任でしょ」といわれてしまうような環境があるということかもしれないっすね。

 鬱者のケアは、行政や専門家におまかせになり、周囲の人々という最も身近で日常的なケアができる人々は、ケアの場面から分断されてしまっているのかもしれないわけです。このような環境では、たしかに無能が露呈しても、鬱にならず、ずっとハイでいられる個体のほうが有利っぽいんですよね。こういう個体の特性が一般化するのに何世代くらい必要かわからないが、仮に5世代くらいでできるとすれば、このままうつになった人を切り落とし、無能でもハイで居られるひとだけを活かしていけば、100年後くらいの日本では、無能でもご機嫌なまま生きていけるひとが支配的な社会になっているかもしれないっすね。無論、そのころには、無能な人を助けたいと願う性質も失われていることでしょうけど。もっとも、そういう集団が持続可能かどうかはよくわからないですが。

ここから先は

0字
まちづくり絡みの記事をまとめたマガジン「読むまちづくり」。 月額課金ではなく、買い切りです。なので、一度購入すると、過去アップされたものも、これからアップされる未来のものも、全部読めるのでお得です。

まちづくり絡みの話をまとめています。随時更新。

サポートされると小躍りするくらい嬉しいです。