躁と鬱の使い所を考える
よく経営哲学として言われる「選択と集中」だが、身近な範囲では、あんまりうまくいかないことをよく見る。選択と集中がうまく行かない理由は、そもそも冷静に考えるとわかるけど、「何が当たるかなんて誰にも分からない」からで。予想が外れるのは能力が低いからというか、そもそも当てられる人なんていないのだ。
まあ要するにあれだ、ガチャだ。狙って当てられるもんではないんだな。
ただ、この「冷静に考えると」っていうのがポイントで、これって結構「鬱的」な思考よな。それに対し、「俺は予測を当てられるぜ!」とノリノリで考えられるというのは、自分の能力に対する「躁的」な思考だ。
このようなゲームで、どうにかあたりを出したいならやるべきは「数打ちゃ当たる」作戦だ。選択と集中ならぬ、非選択と非集中だ。で、当たったらラッキー、当たらなくて普通、と思ってガチャ投資を細く長く続ける、くらいしかない。
ただ、これはある程度まとまった資本が集中しているプレイヤーじゃないと取れない。当たり前だけど、数撃ちゃ当たるは、数を打たないと当たらない。数を打つには大量の資本が集中していないといけない。100万円かけてガチャを引けば一回位はあたるかもしれないが、1万円では当たらない。
まあ、それくらいのあたり率だよなあ、という悲観的に考えるのが、鬱的思考だ。
で、こう見ると、躁も鬱も、どっちも要る思考だよな、ってことがわかる。
現場のプレイヤーは躁的に自分の能力を大きめに見積もって不確実な勝負でも果敢に勝負していくべきだし、管理側は、自分の能力を低めに見積もって鬱的に、どれが当たるかなんてわからないという謙虚な態度を取る方がいいのだろう。
これが逆になって、現場プレイヤーが鬱的になって行動を控えたり、管理側プレイヤーが躁的になって、お前はこれをしろ、これはするな、とかやりだすと、途端に集団は活力が失われていく。躁と鬱の使い所を間違うとそうなるよなって話。
ところで、スター・ウォーズでいうフォースの暗黒面って、未来に対する過度に悲観的な思考があるかと思えば、宇宙を支配してやる的な強烈な自信、極端に狭まった視野、自己保存への強すぎる執着など、かなり躁鬱的だ。で、ジェダイは仏教的に執着を手放すことで暗黒面へ陥るリスクを管理していたわけだし、そのための手段として戒律主義的になっていったわけだけど、それもゆきすぎると人間集団として硬直していくわけで、ジェダイ黄金期とされるエピソード1でもコルサントはすでに元老院と官僚制が機能不全を起こしていた。フォースでもバランスが大事っていってたね。躁鬱も揺れ動くバランスが大事なんだろうね。あれ、何の話だっけか。
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