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定住民と流動民との政治対立という観点から見るまちづくり団体の「地縁 対 志縁」構図。

 以前にこんな記事を書いたんすけどね。

後に「ボランティア元年」と呼ばれるこの時期、地縁とは異なる志の縁、すなわち「志縁」を契機に組織を作り活躍する人々の存在が可視化されたことは、まちづくり活動の担い手不足問題の解決に一つの可能性を大いに予感させたことでしょう。オーソドックスな地縁組織の人手不足を、これら志縁組織がカバーできるのではないかという素朴な期待は、少なくない人々が抱いたのではないでしょうか。
 しかし、この二つの組織の融和は、当時の人々の期待通りに進むものではなかったようです。今野裕明が『インナーシティのコミュニティ形成―神戸市真野住民のまちづくり 』(2001)の中で、いわゆる「地縁団体」と「志縁団体」との融和は90年代の課題であるという認識を示していましたが、「課題」と呼ばれる程度にこの二者の融和は当時から困難なことと認識されていたようです。
 この「地縁⇔志縁」の対立軸で説明される「まちづくりプレイヤーの配置図」は、実際に一定の説得力を持ち、場合によってはコミュニティ政策を計画する際の根拠ともなってきました。

 住民参加のまちづくりの主なプレイヤーというと、町内会などの地縁を契機に結成される組織である地縁組織と、環境問題や貧困問題など解決したいという共通の志を契機に結成される組織である志縁組織の2つがおおまかあると。そしてその2つの融和は期待されつつも、いまだ十分達成されていないって話でした。

 ところで、地縁組織と志縁組織と2つ並べましたが、必ずしもこの2つは対等というわけではありません。この2つの格差は、活動内容とか活動意欲とかいったことでしばしば説明されがちですが、より重要な差は、要するに政治力の差なんですね。志縁組織は地縁組織に比べて政治力が相対的に弱い傾向があって。

 この点については以前、こんな記事も書いていました。

困窮者を支援しようとする人々は、困窮者支援反対派を説得、あるいは論破するために、様々な科学的なデータを必死で集めてきたし、理論武装もしてきたのだというんですね。そうしないと、支援反対派を退けて、公金の分配を受けられなかったというわけです。
 で、興味深いのはここからで。一方でまちづくりに目を転じてみるとどうか。氏からすれば、公金の分配という点について、まちづくりは、困窮者支援に比べて、ひどくおおらか、もっといえば、甘々なのではないか?というんですね。僕なりに言い換えれば「まちづくり、なんかズルくない?」というわけです。
 それは、まちづくりの主な担い手である地域団体への公金の配分が、彼らを支持基盤とする保守政治家や行政機関にとって有利な選択肢として機能するからですね。言ってしまえば、「まちづくりは権力側にとって有益な営みである」というわけです。
 その意味では、おそらくは困窮者支援に限らず、様々なテーマで公金の分配が、まちづくりに比べるとシビアに行われている、ということが起こっていると類推することができます。

 ここでいうまちづくりとは、地縁団体、つまり同じ地域に住んでいることを契機として結成される組織のことですね。ここへ投資をすることが、政治家や行政機関にとって有利なポジションになるわけです。だから同じまちづくり活動といっても、地縁団体が行うものと、志を契機に結成される、翻れば地縁を持たない流動民の集まりである志縁団体が行うものとでは政治的な背景が異なるんすね。もっと剥いた言い方をすれば志縁団体は土地を持つ地縁団体に比べて政治的に「弱い」んじゃないか、という話があるわけです。上で言う困窮者支援活動とかと同じ理屈ですね。

 そもそも「地縁と志縁の組み合わせ」っていうとき、「地縁団体のサポートシステムに志縁団体を扱おう」っていう発想がもうどっちが主でどっちが従と考えているか、みたいなことが推し量れるわけですね。

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