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人類、そんなに大差ない〜下手くそだけでソフトボール大会とかしたいって話。

 下手くそだけでソフトボール大会とかしたい、って言う感情がある。

 上手さとかで上下を決めるのではなく、みんな下手だよねという前提で、純粋にボールを投げたり追いかけたり打ったりするという。

 それは、大抵のチームプレイでも同じで。どんぐりの背比べするんではなく。多少仕事ができるといったところで、ザッカーバーグよりは稼いでないわけだし。誤差みたいなもんですよ。

例えば想像して欲しいんだけど、飲み会でよくあると言われている、年収自慢プレイなんかをするとしますやん。で、自分がトップでふふん、となるとしますやん。そこにザッカーバーグがくるわけです。「どうもー」っつって。で、ザッカーバーグ、年収1ドルなんですよ。「いやあ、すごいっすね。僕なんか、1ドルですよ。まあ、資産が6兆7千億円あるんで、いいんすけどね」って言われるんですよ。
 明らかに、自分の地位や領分を侵されたと感じるはずなんです。ムキーってなりますやん。しょうもない年収をどんぐりの背比べで自慢し、マウンティングしていたことが恥ずかしくなり、ザッカーバーグが羨ましくなり、そして、嫌いになるはずで。

 人間って個体差を大げさに捉えがちですけど、大体は似ていて、例えばどんなに頭脳が優秀な人でも、プロスポーツ選手でも、車に派手にぶつかられれば、死んでしまうんすよね。

 これって結構不思議なことで、人類70億人もいるんだから、例えばスーパーマンみたいな、鋼鉄の肉体を持って空を飛べて目からビーム出す人だっていてもいいじゃないですか。でも、いない。なんでかなと進化生物学的に考えるなら、そのほうが生存に有利だったからで。つまり、例外的に特殊な能力を持っている人は、他の人と力を合わせて行動しにくいんですね。連帯、協力に不都合があると。で、弱い代わりに連帯する群れと、めちゃ強いかわりに連帯できない個人とでは、前者のほうが生き延びる確率が高かったんじゃないかと。

 体が弱い人類は、群れて何をしたかって言うと、オプションを作っていったんだね。装備品。例えば集まって木を集めて火を炊く。その回りに集まることで、強い獣の接近を妨げる。みんなで土木工事をして堀をつくって水をためて敵の侵入を防ぐ。水道を通してどこでも清潔な水が飲めるようにする。インターネットを作って遠くにいる人とも時空を超えた協力ができるようにする。人類の装備品はこうして進歩してきたわけですけど、多分身体はそんなに強くなってない。むしろより弱くなってさえいるかもしれない。

 ドラクエで言えば、レベルアップして「ちから」や「すばやさ」が高くなるわけですけど、実生活では、ほとんど変化しないか、衰えていく。その代わり、「はがねのつるぎ」を装備して、強くなる。そういう無数のアイテムを束ねてシステムにしたものが、人類の文明社会ってもので。だから、アイテムが集積しているところが強い政治力を持ち、ますますたくさんのアイテムを集めていくのに対し、アイテムをあまり持たないところはますますアイテムを持てなくなっていく。

 デビッドアトキンソンが、日本が経済的に弱ったのは、人口減少とか高齢化とかグローバル化は間接要因でしかなくて、直接的には、90年代以降、企業の設備投資が減ったからだと言っていて。つまり、アイテムを新しく買わなくなったんだね。そりゃ強くなれないわけで。

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